原体験から将来を考える

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原体験から将来を考える
市立札幌病院精神医療センター
坂本諒

2017年2月2日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行

精神医療センターでは、精神科医療の身体合併症加算を取っており、身体疾患と精神疾患を併せ持った患者さんが入院して来ます。
よく見られる患者層は、認知症と何らかの生活習慣病や癌、肺炎を併せもった方々であり、現代社会を象徴しているように感じます。
その他にも、自殺企図から助かった患者さんや、身体の病気が原因で抑うつ状態になった患者さん、また、発達障害や摂食障害の患者さんなど、様々な背景を持った方が来ます。

学生時代、実習や病院見学等を通して、身体疾患と精神疾患を併せ持った患者さんの居場所がないことを感じました。
そこで、そのような患者さんが来るところで働き、どのような患者さんがいるのか、そしてどのような生活を送ってきたのかを知り、私には何ができるか考えたいと思い、現在の職場を選択しました。

私は将来、研究者になりたいと考えており、以前より修行の場を探していました。
そこで、学生時代に活動していた日本国際保健医療学会・学生部会での仲間を通して知り合った、樋口朝霞さんが、看護師として病棟で勤務しながら英語論文を執筆したり、海外からの研究生を受け入れる調整をしたり、議員事務所でインターンをしていたり、自主的・積極的に行動している姿をFacebookで見て、刺激を受けました。
また、彼女は社交的で人を惹きつける魅力があり、東京に行った時はご飯に連れて行ってもらっていました。

先日、東京へ行った時、彼女の紹介で医療ガバナンス研究所を訪ねる機会を頂きました。
研究所には、意欲のある若者や一流の方がたくさんおり、一日仕事をさせて頂いたり勉強会に参加させて頂いたりすることを通して、刺激をもらいました。

将来のことを考えて、成長できる環境に身を置きたいと思い、今春より東京に移住し、東京で看護師として働きながら、研究所で修行をさせて頂く運びとなりました。

臨床では様々な患者さんと関わり、その多様な生活背景に触れることができたのですが、目まぐるしく時間は過ぎていき、自分は何がしたいのか曖昧になってしまうことがありました。
社会人となってからは、学生団体で一緒に活動していた仲間とも離れ、社会問題を議論する機会が減り、また、大きな組織の中で働くことで、ついつい“自分が何をしたいのか”を忘れてしまいがちになっていました。
そこで、新たな挑戦をする前に、自分の生活史を振り返り、加えて自分のルーツを知ることで自分を客観視し、自分は何者であり、何をしていきたいのか考え直す必要がありました。

私は、将来研究者になりたいと思っており、そのためには、自分を客観視して自分の特性を知り、求められる能力を身に着けられるよう、鍛える必要があると感じています。
研究者として働く場合、様々なフィールドで様々なバックグラウンドを持った方々と関わることになるため、自分の背景を客観視した上で、相手の背景を理解し、相手との関係を築いていく必要があると考えます。

私のルーツは国を跨ぐのですが、私はそのほとんどを知りませんでした。
両親、双方の影響を受けて育ちましたが、特に父親の影響が大きかったため、まずは父親に話を聞くことにしました。
先日、父親の行きつけのバル(南ヨーロッパ風小居酒屋)に行った時、ルーツや今までの人生について、様々な話をしました。

幼少期、新聞記者として、日本全国やヨーロッパを中心に取材をして回っていた父。
そして、病気で寝たきりとなり、日常生活に全介助を要していた父。

父親が病気になった当時、私は4、5歳。まだ病気の概念が曖昧な年齢でした。
寝たきりの父を見て足がすくみ、その場を動けなかったことを覚えています。

今でこそ元気で文武両道の弟も、生まれつきの病気があり、その頃、母親は病院を行き来していたことを覚えています。

それまでは、それなりに余裕のある暮らしをしていたかと思います。
父親は外で働き、母親は家庭に入り、専業主婦をしていました。

それが一変、父親の病気をきっかけに、家庭内のバランスが変わりました。
母親は外で仕事をし、家のことも勿論していました。

その生活の中で分かったことは、自分や自分の大切な人に急に何かがあっても、自分の足で自分の人生を生きていかなければならないことでした。

当時、病気を含め、人生何が起こるかわからないことを感覚的に知りました。
保健・医療・福祉に興味をもった原点は、ここにありそうです。

自分の人生を生きるためにも、ルーツを知った上で自分が何者かを明らかにし、出来ることを考えたいと思い、今まで父親があまり話さなかった、ルーツについても聞いてみました。

父親は、韓国人と日本人のハーフ。
父の父、私の祖父は、韓国の慶尚南道出身でした。慶尚南道は、対馬海峡に面した地域です。

祖父は、戦前の日本統治時代、昭和10年頃、小学校卒業後に単身で山口県に来ています。
時期は不明ですが一時は大阪に、その後、推測ですが1955年頃に小樽へ来たそうです。

祖父は、小樽にて廃品回収の小さな会社を経営しました。
経営と言っても、朝から晩まで肉体労働。祖父の苦労を感じます。

父が生まれ育った家庭に、経済的な余裕はありませんでした。
そのため、父は公立中学・高校に通いながら独学で勉強し、現役で東京大学に進学しています。

祖父の会社は1979年頃倒産。当時大学生であった父は、奨学金と家庭教師のアルバイトで生計を立てていたそうです。
その祖父は、1981年、父が大学4年生の時に癌で他界しています。

父は、高校時代、科学技術の進歩で人は本当に幸福になるのかと疑問に思っていたことから、東京大学の文学部で哲学・倫理学を専攻したそうです。
大学院に進学して哲学・倫理学の学者になるか、マスメディアに就職するか迷っていたところ、広い世界で働きたいと思い、また父親が大学4年で亡くなったこともあり、新聞社に就職したようです。

しかし、新聞記者としての仕事が軌道に乗り始めたところで病気に。
今はある程度回復し、新聞記事の評価の仕事をしています。
リタイヤ後は世界一周をして、そのあとは哲学・倫理学に生きるそうです。

祖父の苦労は計り知れませんが、父の苦労も感じました。
共通点は根性やハングリー精神かと思います。
父は寡黙な人ですが、何か一つを聞いたら十で返してくるような人で、面白い話は人を惹きつけることを感じていました。

私は、自分のことを語らない人でしたが、人間力を高めるために、実力も結果も何もない現状をさらけ出して、一から鍛えていこうと思います。
そして、ルーツから引き継いだ根性やハングリー精神を生かして行きたいです。

約3年間、臨床現場で働き、目の前にある現実は甘くありませんでした。
様々な問題があることを感じましたが、簡単に解決できる問題ではありません。

特に、高齢者の医療においては、認知症がある患者さんに、本人の理解を超えた治療を、拘束してでも無理に受けさせることが本当に幸せであるのか疑問を持ちましたし、もし全ての人がそのような治療を受ければ、医療費は無限に高騰するのではないかという疑問も感じます。
私は、目の前にある現実と、そこから感じた疑問を丁寧に考えていきたいです。

話は戻りますが、もう一人、私に大きな影響を与えた人がいます。
私が愛して止まない、母方の祖母です。
一度会うと、1年分くらいのエネルギーが飛んで来ます。

祖母は、美容業界でビジネスに生きる人。
祖母は、美容に関する技術をトータルに習得しており、美容師・エステティシャンとしての仕事や化粧品の販売等、幅広い仕事をしています。
75歳を越えた今でも、得意な化粧品の販売部門では、毎年全国1番2番を競っています。
幼少期、仕事の邪魔になることをすると、「商売の邪魔は、孫でも許さん。」と怒られたものです。

小学生の頃までは、よくビジネスを継がないかと言われたものですが、美容業界への興味は薄く、
「いくら美容にお金をかけて化粧をして着飾ったって、生まれ持ったものは越えられない!」と豪語していました。

祖母は働きながら勉強を続けており、その姿から、生涯高め続けられる価値は人の中身にあるという感覚を持っていました。
そのため、外見に投資するという感覚は理解に苦しかったことを覚えています。

しかし大人になってから、社会の中で様々な大人とかかわり、化粧品はその人の魅力を引き出すという意味で、大切なものだと感じるようになりました。
私は趣味でフラメンコをしており、舞台に立つ時、化粧は効果的な表情を出すことを助けると感じましたし、趣味を通して、中身と外見の両方を丁寧にケアしている大人に出会いました。
そして、「化粧品には夢がある。」という祖母の言葉を受け入れられるようになりました。

祖母は鉄鋼の町、北海道の室蘭に生まれ、幼少期に戦争を経験しています。
高校で単身札幌に、その後は東京で一番の美容専門学校に入り、卒後は住込みで修行をしたそうです。
その後、長野県出身で資生堂に勤めていた祖父と結婚し、ビジネスパートナーとなり、独立しました。

父親の病気があったためか、祖母は小学校低学年の私に人生の教育を沢山してくれました。
祖母は向上心が強い人であり、進学・就職・独立において常に挑戦を繰り返していたため、「普通で満足するんじゃないよ。普通を押さえてその上を行きなさい。」と教えてくれました。
その他、人間の吸収力が高い時期を実感しているようで、「若いうちは、無理をしてでも挑戦しなさい。20代までが特に重要だよ。心は20歳なんだけどね、あっという間に60歳になるから、魅力を感じるところがあれば、飛び込みなさい。反対に、魅力のないものは捨てなさい。」と話しており、時間は有限であることや、人生における選択の重要性を教えてくれました。

当時、祖母の言葉は私の理解の範囲を少し超えていましたが、記憶には深く刻まれ、小学校高学年頃には理解できるようになりました。
それから、祖母の言葉を行動の基盤にしており、修行の場をずっと探していました。
そして最近、やっとその修行の場を見つけられたので、努力していきます。

祖母に、何故、百貨店が一番有力であった時代に、あえて独立をしたのか聞いてみました。すると、「高度経済成長が終われば、役目を終えると思ったからだよ。時代を先読みしなさい。遠い未来を見据えて行動しなさい。」との言葉をもらいました。

しかし、今の私が時代を先読みして遠い未来を見据えるには、教養が足りません。
日本や世界の社会情勢、保健・医療・福祉の動向を学び、何が問題となり得るのか考え、一方で、社会や経済の成り立ちを学び、現状を踏まえて出来ることを考えていきたいです。
修行をさせて頂くにあたり、求められる仕事は何でもしようと思います。
その上で、主体的に研究できるようになりたいです。

精神看護の臨床現場で働いていて、興味深く感じるのは、児童・思春期の患者さんなのですが、現代の社会背景より、注目されているのは認知症の患者さんです。
社会背景に即した研究、社会に必要とされる研究を行い、少しでも問題解決の力になれるよう努力すると共に、超高齢社会の波が去った後に大切になることを見通して仕事をして行きたいです。

人生は有限であり、いつ何が起こるかわかりません。そのような体験を幼少期から経験してきました。
私が中学生・高校生の時は、自分自身の病気でも苦労しました。
中学生の頃は医師になりたいと思っていたため、高校時代、病気で成績が落ちた時は人生が終わったと感じていました。
治療をしてくれていた医師が丁寧に話を聴いて下さり、自分で現状に向き合った結果、今があります。

自分が病気になっても、時間は進んでいきます。病気によってうまくいかないことがあっても、その事実を受け入れていかなければなりません。
立ち止まる時もありましたが、現状を受け入れて、今の自分にできることを考えながら生きてきました。

現状は、全て自分自身の思考と選択の結果です。
これからも、自分の人生に責任を持ち、自分の幸せに責任を持ち、人間力を高めていきたいと思います。

経歴
1991年北海道札幌市生まれ。看護師・保健師。2010年3月に札幌第一高校卒業し、同年4月に北海道医療大学に進学。大学時代は、日本国際保健医療学会・学生部会に所属し、全国の仲間とともに学び、講演などの調整を行った。2014年3月に北海道医療大学を卒業し、
看護師免許・保健師免許を取得。同年4月より、市立札幌病院・精神医療センターに就職し、現在に至る。

(2017年2月13日 MRIC by 医療ガバナンス学会より転載)

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