著者:野末睦(あい太田クリニック院長)
質問:あなたはなぜ生まれてきたのですか?
※編注:質問に対する「私的結論」を次回掲載します。
親子げんかの時に、「生まれたくて、生まれてきたんじゃないよ」とか「ああ、こんな家に生まれて、ほんと損した」なんて、言わなくてもいいようなことを、つい言ってしまうことはありませんか?小学校高学年の頃、一人っ子で育っていた私が、夕食時まで近所の友達の家にいたことを激しく注意されたときに私が発したセリフも似たものでした。「しょうがないじゃん。一人っ子で、家に帰ってきたってつまんないんだもん。どうして、兄弟がいないんだよ?」母は私が3歳ごろから結核で長期入院中でしたし、父は仕事で毎晩遅い日が続いていました。そんな私をずっと育ててくれていた祖母が、私のこの言葉を聞いて、何か驚いた風で、急に黙り込んで、奥の方に行ってしまいました。そして、しばらくしたら、また私のところに来て、「睦、ほんとにそう思っているのかい?」と聞き直してきたのです。少し悲しそうな顔で。
中学校を卒業するときに初めて、私が養子だということを告げられ、この場面の意味を納得するまで、強い違和感をもってこの出来事を捉えていました。そう、私は、結核による卵管の閉塞によって不妊だと診断された私の父母が、母の姉夫婦に頼んで生んでもらい、生後3か月で養子になったのです。すでに亡くなった私の生物学的父の言葉では「斎戒沐浴して、お前を作ったんだ」とのことでした。
すべての人に何らかの意味や使命がある
赤ちゃんは両親はもちろんのこと、そのほかのいろいろな人々の思いも受けて、生まれてきます。私はそんな誕生の中に、その子の運命や使命みたいなものを感じます。私の誕生の経緯を知った時はそれほど感じませんでしたが、もうすぐ還暦を迎える年齢になった今、このようにほかの人と多少違った事情でこの世に生を受けた私自身の人生に、運命的なものを感じ、また私のこの世での使命を考えるときに、いつもこの誕生の経緯を想起します。加えて、このような誕生にまつわることは、当然私ばかりでなく、すべての日本人、いえ、すべての人類、さらにはすべての生れ出てくるものについて、つまりヒトばかりでなくて、すべての生きとし生けるものにおいて重要な意味を持っていると感じています。さらに、受け身的でなく能動的に考えると、生きとし生けるものは、何らかの意味や使命を、自分で選び取って、この世に誕生してきたのではないかと、感じています。
野末睦(のずえ・むつみ)
筑波大学医学専門学群卒。外科、創傷ケア、総合診療などの分野で臨床医として活動。約12年間にわたって庄内余目病院院長を務め、2014年10月からあい太田クリニック(群馬県太田市)院長。
著書に『外反母趾や胼胝、水虫を軽く見てはいませんか!』(オフィス蔵)『こんなふうに臨床研修病院を選んでみよう!楽しく、豊かな、キャリアを見据えて』(Kindle版)『院長のファーストステップ』(同)など。
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