浜脇整形外科病院(広島県広島市、160床)は、副理事長の浜脇澄伊氏が管理部門に着任した1996年以降、事務職の採用を強化し数々の経営改革を断行したことで、遠方からも患者が集まる病院へと成長を遂げました。その過程で見えてきたことについて、浜脇氏に聞きました。
畑違いから病院経営の世界へ
―もともとはルイ・ヴィトングループ、国際会計事務所など、全く異なる業界でご活躍されていたそうですが、浜脇整形外科病院で働き始めたきっかけは何だったのでしょうか。
父・浜脇純一が開業した当院は1996年、増改築やサテライトクリニックの開設にともない、人手不足に陥っていました。父からは帰ってこいと一言も言われなかったのですが、心配した周りの方から「戻ってこないと、大変なことになる」と言われ、戻ることを決意しました。そのときわたしは26歳。まわりの院内のスタッフ、銀行や業者の担当者はみんな年上で当時は小娘扱いをされたのを覚えています。
当時はまだ、全国的にも管理部門に力を入れている病院はほとんどなかったように思います。診療報酬も右肩上がりでしたし、戦略を立てなくても患者さんが大勢いらっしゃるような時代からちょうど、右肩下がりに突入したころでした。わたし自身、ここまで病院経営にのめり込むようになるとは思いませんでした。
―着任してまず、どんなことに取り組まれたのですか。
当院が抱えていた最大の課題は、職員が定着しないことでした。これを改善しようと、まずは職員アンケートで不満を洗い出しました。「もっと努力を認めて欲しい」「経営層になかなか自分の思いが伝わらない」など、いろいろとフィードバックが返ってきました。第一に組織作りが大事だと思い、1998年には人事考課制度をまず導入しました。年間の経営計画にひもづくような目標を各部署に提出してもらい、定期面談の場を持つようにしました。
先代とは違う経営が求められるように
着任後は毎年、何らかのテーマを決めて、1つずつ実現させてきました=右表参照=。とはいえ、最初は右も左も分からない状態だったので、亀田総合病院(千葉県鴨川市)や恵寿総合病院(石川県七尾市)など、全国に先駆けた取り組みをしている医療機関に積極的にヒヤリングに伺い、当院に何が足りないのか、情報収集を続けました。こうしたフットワークの軽さはわたしにとって大きな武器だったと思っています。
―実際に経営改善に携わってきて、どんなことを感じていますか。
やはり、父の世代とは異なる経営が求められるようになってきていると実感します。
先ほども申し上げた通り、かつては経営やマネジメントについてそれほど突きつめて考えなくても、ある程度病院は成立できました。しかし今はそうではありません。自院が何を大切にし、経営的な側面を踏まえて地域に必要とされる医療をどう提供していくか―こうした理念を自分の言葉で伝えられる経営者が求められていると思います。
ただ、先代と違う経営を求められていることは、個人的にはすごく楽しいです。20年近く病院経営にかかわってきて、同じような境遇の病院経営者にも数多く出会ってきましたが、彼らと切磋琢磨しながら新しいチャレンジができるというのは、わたしにとってやりがいでもあります。
目指すは「自腹でも受けたい医療」
―現在の目標はありますか。
常に意識しているのは、「たとえ全額自己負担だとしても、自分たちの医療は患者さんに満足してもらえるのかどうか」です。
たとえば給食一つ取っても、整形外科に入院する患者さんにとって提供できる内容は何かなど栄養部と真剣に考えます。例えばカルシウム強化デーを作り、牛乳以外のカルシウムの取り方を提案します。
手術や外来患者さんの数ではなく、医療の質に誇りを持って働きたい。そのために、患者さんの立場に立った医療をどう提供するか今一度考え、実現させたいと思っています。これが今後10年スパンで力を入れていきたいことですね。
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