右も左も分からない時代を経験したからこそ
関谷氏が経営管理部次長についたのは2016年。もともと管理職を目指そうという明確な思いはなかったが、外来や病棟、自賠責といった医事の現場で経験を積み、少しずつ業務の幅を広げていった末、医事課長を経て現在の職に就いたという。
誰かに聞かれたらできる限り分かりやすく、すぐに情報提供が出来るよう、日々、行政をはじめ院内外の情報収集を怠らないのが関谷氏のポリシー。「情報を正確に整理するためには、実状の把握が不可欠」と話す。
一方、阿部氏が同院に加わったのは2000年。入職後は診療情報管理室や経営資料作成等で経験を積み、現在は経営管理部の医事課課長代理の職についている。
「入職当時は、数字の裏側にある現場の事情を想像しきれなかった」と阿部氏。大きな転機になったのは、2005年の救命救急センター立ち上げにかかわったことだという。当時阿部氏は、救命救急センターで医師や看護職員が患者の治療に専念できるよう新たに作ることになった医事課救急チームの一員に立候補した。ただ、たった7人で365日24時間体制の事務的サポートを行う体制の構築は、容易ではなかった。
「朝8時半から17時まで日勤して、その後に管理当直に入る生活でした。
実際にやってみると、チームメンバーからは『夜間や休日に突発的に起きる様々なことに対応する自信が持てない』『体力的に厳しい』などという声もあがりました。その都度軌道修正を繰り返しながら、体制を改善させていく必要がありました。
しかし、だからこそ自分の成長が実感できたとも思います」
阿部氏はその後もいくつかの院内プロジェクトに携わり、資料づくりや会議や委員会事務局などを経験する中で、「どの経営数値を深掘りすべきか」「院内のどの部署とどのように連携をしていくべきか」という勘所を押さえていったという。右も左も分からない状況に陥りながらも、疑問点を残さず、根気強く課題に向き合う―その積み重ねが着実な成長につながったと振り返る。
自分の枠にとらわれないために
病院事務職としてのキャリアを歩んできた今、関谷氏には気づいたことがあるという。
「医事課の知識だけでは、病院全体の経営戦略を考えられません。病院の戦略に携わりたいと考えるのであれば、自分の得意領域を持ちながら、ほかの分野のことをもある程度は押さえておくことが大切だと思います。
例えば、キャッシュフローに関する知識があれば、院長に対する提案内容に厚みを持たせることができますし、提案した設備投資がどのように回収されるかまで考えることができる。医療政策に関する知識があれば、今後の行政のかじ取りにどのように向き合うかといったビジョンを含めて経営層と考えることができる。長期的な目線で経営に助言できる人材になりたいのであれば、自分の枠にとらわれず、日々の業務には関係がなさそうに見える情報や取り組みにも目を配ることが大切ではないでしょうか。
自分の枠にとらわれないためには、院内外の情報に広くアンテナを張ること。そして、困難に見える業務であっても『なんとかやろう』というスタンスを持つことが大切だと思っています。自分の経験や知識では対応できないと感じても、必要な情報をかき集めて、まずは実現の道を探ってみる。そうした日常を繰り返していくと、点が線でつながっていく瞬間があり、病院経営についての理解が深まると感じていますので、これから先の自分の課題としていきたいですね」
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