急性期から在宅まで経験 たたき上げの事務職が40歳直前で環境を変えたわけ―国立大学病院データベースセンター 守野隆寛氏

大学で医療経営を学び、それから16年間は社会医療法人 河北医療財団(東京都杉並区)で総合病院、リハビリテーション病院、経営企画、家庭医療学センターとさまざまな部門を経験してきた守野隆寛氏。2018年4月からは国立大学病院データベースセンターで、全国の大学病院にある診療データを集計・分析する道を選んでいます。現場のたたき上げで経験を積んできた守野氏は、これまでどのようなキャリアを歩んできたのでしょうか。そして、16年を区切りに環境を変えた理由とは―。

教えを乞う先輩がいないからこそ、受け身から能動へ

国立大学病院データベースセンター 守野隆寛

―守野さんはどのような経緯で、病院事務職の道に進まれたのでしょうか。

もともとは、大学で医療経営を学んでいたことにさかのぼります。私は、1998年当時、医療経営が学べる唯一の大学だった国際医療福祉大学・医療経営管理学科に進学しました。その頃から病院は診療報酬の請求だけでなく、経営管理が大事だという風潮が高まっていたので、それならば先行して知識を身に着けようと思い、2期生として入学しました。学生ながら先進的な取り組みを行っている病院を研究し、診療情報管理士の取得などにも取り組み、卒後は社会医療法人河北医療財団に入職しました。

―学生時代から病院経営の勉強をされていたのですね。その後、河北医療財団ではどのような業務を担当しましたか。

はじめは総合病院の医事課で2年、次にリハビリテーション病院の診療サポート室で9年、総合病院の経営企画課で4年、家庭医療学センターで1年を過ごしました。急性期から在宅医療までの保険請求や各種届出、診療科別の収入分析を踏まえた予算・事業計画の策定など幅広く経験しました。

各部門の仕事内容はまったく違いましたが、総合病院の医事課に配属されたときに診療点数本を読みこみながら保険請求の知識やスキル、やり方をしっかり身に着けたことで、自然と次のステップにつながっていったと感じています。大学で医療経営を学んでいたとはいえ概論止まりで、実務の進め方は一切知らなかったので最初が肝心だったと思います。

―さまざまな医療フェーズを経験されてきた中で、最も印象に残っていることは何ですか。

入職3年目で異動したリハビリテーション病院の頃でしょうか。リハビリテーション病院が新病院として立ち上がった直後、たまたま医事課に立ち寄った事務長から「診療録の管理に詳しい診療情報管理士がいないから行ってくれ」と、業務終わりの帰りがけに言われました。この時、3年目にして引き継ぎもなく、診療情報管理業務に精通した人はいないという状況に立たされたのです。当時は「マジか。帰りがけに辞令ってアリ?」と思いつつ、もう少し医事の勉強をしたいと直属の上司へ相談したところ、上司も異動の事実を知らなかったという笑い話があります。この異動をきっかけに、教わるという受け身の姿勢から自ら考える能動的な姿勢に切り替えないと、この組織では生き残れないと腹をくくることができました。

―リハビリテーション病院で取り組んだ業務について教えてください。

リハビリテーション病院では、診療録管理だけでなく、保険請求、厚生局の立ち入り監査の対応や経営指標の作成・分析なども行わなければいけませんでした。そのためには、過去の記録を振り返って上司へ報告・相談しつつ、自分でも試行錯誤しながら、とにかく結果を残していくしかありませんでした。

特に大変だったのは、5年目で電子カルテの導入を任されたことです。わからないなりに納期と金額に見合った業者選定からシステム導入まではできたものの、導入当初に期待していた業務削減、統計出力の仕組みの構築については反省点が残りました。導入の間には高齢の医師から「電子カルテを導入するなら退職する」、看護師長からは「患者よりパソコンに向かう時間が増え、看護の質が低下した。電子カルテが使いづらいから導入経緯を説明してください」など、色々ときつい一言を言われて苦労しました。とはいえ、5年目の職員がプロジェクトの中心という大役で関われるチャンスは無いと考え、あえてこの状況を学びと経験の場として楽しもうと心がけていました。

― 一見すると心が折れてしまいそうな状況ですが、守野さんが仕事を楽しむために工夫したことは何でしょうか。

現場との調整が必要な仕事は、なるべくその人のもとに足を運び、直接話すことを心がけました。世代や価値観、仕事の優先度が違う中で話すことは億劫になるかもしれませんが、ある程度話せる間柄になれば、最終的には「しょうがないなあ」と動いてくれるものです。

あとは診療点数表を読み込んだり、中小企業診断士の勉強をしたり、自分なりに学び続けることも大切だと思います。自分は当初、仕事のやり方には正解があると思っていました。だから仕事を任されるたびに、このやり方は正しいのか、教えてもらったことは正しいのかと不安を感じていました。そこで大本となる知識を取り入れたことで、不安や疑問の根拠が考えられるようになり、心の余裕が持てるようになったと感じています。

―ちなみにプレイヤーとしての成長だけでなく、マネジメントで工夫したことはありますか。

私が本格的にマネジメントに携わったのは家庭医療学センターの時で、当時は事務長不在の部署だったのでかなり大変でした。特に、指定休の未消化や突発のお休み、一部の職員に業務が偏った連日の残業など、労務管理がまったくできていませんでした。それだけでなく、部下への業務指示がきちんと伝わっていないこともままありました。

そこで、私は「仕事を見える化する」ことを意識しました。具体的には月曜日と金曜日にミーティングを組み、週次でやることやできたことをホワイトボードに書き出したのです。職員同士で業務を把握したことで期日や役割分担が明確になり、休みや残業の調整もできるようになっていきました。かなり管理の側面が強いので好き嫌いはあると思いますが、若手の職員にはこの方法がやりやすかったようです。

国立大学医学部附属病院のデータをもとに俯瞰した視点に立つ

―これまで総合病院で幅広く経験を積まれていたにもかかわらず、国立大学病院データベースセンターへ転職されたのはなぜでしょうか。

もう少し俯瞰した視点に立ち返りたかったことと、国立大学病院データベースセンターの職員募集条件が一致したからです。

というのも医療フェーズごとに経営分析をしても、結局は1病院のデータしかないので明確な判断軸がわからずじまいでした。一方、現在所属している国立大学病院データベースセンターは、全国国立大学医学部附属病院等(以下:国立大学病院)の診療、教育、財務、組織などのデータを収集・分析し、各病院にフィードバックする役割を担っています。高度急性期病院という制限はあるものの、病院経営の平均値みたいなものが見えてくるのではないかと思い、日々業務に取り組んでいます。

―現在の主な業務内容を教えてください。

主に担当しているのは、調査業務です。これは、DPCデータや国立大学病院への調査結果から、手術数や地域への医師派遣数、各専門医の新規取得者数などを集計し、各病院が行っている医療の質を評価、改善できるような資料づくりを行うものです。今の私の課題は、数値を分析する思考プロセスと数値のエラーを発見する能力をいかに高められるかだと考えています。また、自分が担当した調査業務を発表できる機会もあるので、調査を基にしたプレゼン能力も高めたいと思っています。

―今後の目標を教えてください。

病院経営は数字で根拠を持つことが大切だと思うので、そのための分析スキルと論理立てて説明できる能力をさらに向上させたいと考えています。今は調査とデータ分析が主とはいえ東京大学医学部附属病院の地域連携活動の業務を手伝うなど、改めて現場とのコミュニケーションが楽しいと感じているので、データを現場で生かす視点も忘れずにいたいと思います。

<取材・文・写真:小野茉奈佳>

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