大学病院に20年弱勤めた後、企業立病院やいわゆる民間病院など、さまざまな病院でキャリアを積んできた三愛病院(199床、さいたま市)の医事課長・宮本芳誠氏。職人のように医事を追求する一方で、さまざまな組織の経営方針に触れながら事務職の所作を身に着けてきました。経営母体ごとの学びは、キャリアにどう紐付いていったのでしょうか。
大学病院から企業立病院へ移ったときのカルチャーショック
―宮本さんははじめ、大学病院に17年間お勤めだったと伺いました。当時の業務内容について教えてください。
途中、紙からデータへの移行なども対応しましたが、多くは診療報酬請求に時間を費やしていました。1年目からいきなり入院部門へ配属され、何をやっているかまったくわからず、3日で辞めたくなったのをよく覚えています。当時は疾病や処置などの項目を、手作業でコードに置き換えなければなりませんでした。手術用の糸だけでも30種類以上、10日に1回は締め切りがあったので、大学病院こそ職人気質が求められていたように思います。
3日で辞めたかったものの「石の上にも3年」というのは本当で、3年目から少しずつ仕事がわかるようになっていました。さらに異動によって、同院にある高度医療センターで脳神経外科、消化器外科などを順番に回れたことが今の基礎になったと感じます。病名・疾患がわかっただけでなく、医師が施す治療と診療情報が自分の中でつながり始め、それこそ“医療事務”ではなく、“医療”がわかった瞬間だったのかもしれません。
―医事職員としてスキルアップするために取り組んだことはありますか。
正直なところ、転職を決意するまでスキルアップの意識はなく、与えられた仕事をこなすことで精一杯でした。20年弱、残業もいとわず働いていたのに、いざ履歴書を目の前にすると何も書けずに呆然としたくらいです。転職直前に急いで診療情報管理士や防火管理者といった資格をとり、41歳で、企業立病院のキッコーマン総合病院(129床、千葉県野田市)へ入職することになりました。
―企業立病院に勤め始めて、最も大学病院との違いを感じたのはどんなところでしたか。
「無駄をなくす、効率よく回す、新しい考えを提案する」といった企業ならではの考え方です。こうした視点は大学病院時代にはありませんでした。
身分上は会社員になるので1年ごとの目標設定や人事評価も導入しましたが、それも40代にしてはじめての経験。医師はオペ数や患者数などでわかりやすいのですが、事務職は定量化が難しく、自分の生産性のなさにたびたび落ち込んだものです。最終的には、「査定・返戻をなくす」「クリニカルパスの新しい方法を提案する」といった目標を立て、1年ごとに達成率や成果を振り返る習慣も身につけました。
さらに当時は初期臨床研修が始まったことで、地方の中小病院だった勤め先は、医師引き上げの影響をダイレクトに受けていました。医師不足によって科目が閉鎖せざるを得なくなったときは、患者さんから苦情やクレームといったかたちで返ってくることも。患者応対には曖昧な返事をせず、根拠を持ってしっかりお伝えするという、事務職としての接遇が確立したのもこの頃だったと思います。
職員同士、医師同士の間を取り持つ役回り
―その次のキャリアチェンジでは、どのような学びがありましたか。
次は都内にあるセコム医療システム株式会社に就職しました。本社勤務を期待していましたが、医事の経験を買われて、提携先の病院へ医事課長として赴任することに。
ここでも企業文化が流れていて、診療報酬改定を踏まえた収益改善策の提案はたびたび求められました。ただ、それよりも気をもんだのは、医事委託会社と自院の事務職員との関係構築です。当時は両者の間になんとも言えない溝があり、チーム一丸となって取り組むのが難しくなっていたのです。わたしが着任する前から「委託会社のルールには従っているから」と、医事課長からの話は聞き流されてしまう状況が続いていたようなので、まずはお互いの歩み寄りを目指しました。
―チーム内の関係を改善するために工夫したことはありますか。
正直、この類の問題に特効薬はなく、職員たちと話すことに尽きると思います。このとき、全職員平等に接するという点もポイント。誰かに比重が偏ってしまうと、あらぬ誤解や噂が生まれてしまうこともあるようです。
あとは、話してそのままでは「何もしてくれない」と、さらなる不満が溜まりかねないので、できることはすぐに行動に移し、できないならその理由やできそうな時期を伝えることも大切だと思います。
中間ポジションが持つべきなのは、ウチとソトの意識
―2018年4月からは、民間病院の三愛病院でお勤めしていると伺いました。いわゆるベテランと言われる年代で転職した今、新天地ではどのような点を意識していますか。
そのポストにどのような役割が求められているのか、それを明らかにして、合致した仕事は何が何でもやり抜くことを意識しています。郷に入ったら郷に従えです。
医事課長という中間ポジションの場合、上層部が「宮本は勝手にやっている」と心証を悪くしないよう、些細なことでも報告は欠かしません。その一環で、医事課全体に日報を取り入れました。上司に的確に報告できるだけでなく、部下の名前や仕事上のくせ、どういう動きをするのかがセットでわかりますし、部下自身は何にどれくらいの時間がかかっているのかを意識できるからです。導入してまだ半年なので今は書く習慣をつける段階ですが、これが浸透してきたら各々の業務改善へとつなげていきたいと思っています。
―宮本さんはこれまで、さまざまな経営母体の病院で働いてきました。病院事務職としてキャリアを積んでいる人は、常日頃からどのような意識を持つべきだとお考えですか。
外に勉強しに行って、新たな視点を取り入れることだと思います。世の中には、勉強会への参加を奨励している病院とそうでない病院がありますが、さまざまな経営母体の病院を回ってきた今、ひとつの病院だけでは視野が狭くなってしまうと感じています。
たとえば何の根拠もなく伝統的にやっている業務があったとき、外で学んでいなければ比較軸がない。この作業は無駄だろうと思っても、いつまでも改善できない状況に陥りかねません。外へ学びに行くことは組織全体や風土にも関わってくるので、教育の大切さにトップが気づき、応援する体制を築くことも大切だと思います。
―最後に若手事務職へのメッセージをお願いできますでしょうか。
最近は、病院事務職のキャリアも多様化していて、経営層や管理職を目指したい人もいれば役職につかず定時で帰りたい人もいるでしょう。今後、病院経営に関わりたいのであれば自分の仕事が病院経営にどう結びつくのかを早めに学んだほうがいいでしょうし、上を目指さないのであれば、目の前の仕事をいかに効率良く終わらせるかを追求すべきだと思います。
リーダー層も、働き方が多様化していることを自覚し、気合いや我慢といったアナログな助言にとどまらないように心がけたいものですね。
<取材・文・写真:小野茉奈佳>
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