結婚・育児といったライフイベントを経ながら、複数の病院で成果を出しキャリアアップを実現しているのが、和光会グループで秘書広報課長を務める安藤恵子氏です。出身地・山形の病院で経験を積んだ後、40歳を過ぎてから住み慣れた土地を離れ、名古屋の病院を経て現職に至ったという同氏。紆余曲折を経験しながらも、変化をステップアップのチャンスに変えたマインドについて伺いました。
和光会グループ
秘書広報課 課長
安藤 恵子氏
業務に没頭するようになったきっかけは、資格取得
-まず、医療業界に携わることになったきっかけから教えてください。
当グループは岐阜県を拠点に展開していますが、じつは私は山形県の出身です。もともと地元を離れるという考えがなかったので、就職活動の際も地元に根ざしたところで探した結果、鶴岡共立病院に入職しました。当時は地元で聞こえのいい病院や市役所で働けるといいな、くらいの気持ちでしたから、そこで何かを目指したいとは正直考えていませんでした。
入職後は医事課へ配属されました。まだ電子カルテのない時代です。外来医事業務としてカルテ検索、メッセンジャー、受付、レセプト業務を担当しました。医療事務の知識もないまま入職したので分からないことだらけ。頭を悩ませる日々に耐えられなくなり一念発起して、医療事務の資格を取得しました。そしたら知識やスキルが身につくにしたがってどんどん仕事が面白くなり、業務に没頭するようになったんです。たとえばレセの集計業務では「電卓の女王」と自称し(笑)、誰よりも早く正確な処理を心掛けました。
その後、庄内医療生活協同組合本部に異動となり、医療生協の組合員活動に携わるようになりました。自分の担当エリアを持ち、組合員様向けの勉強会を企画したり、広報誌の企画・編集を担当したりしました。特に広報業務にはすごくやりがいを感じましたね。未経験でしたが一から学び、夢中でやりました。気がつくと朝になっていることもありましたが、全く苦になりませんでした。この時の経験が、今も広報業務に携わり続ける原点になっています。ただ、結婚と同時に転居することになり、医療生協を退職しました。そこで一時、キャリアを中断することになりました。
キャリア再スタートは、予想外の幕開け
-ご結婚されてから、しばらくはご家庭に専念されていたんですね。
はい。子どもも生まれたので、当面は家事や子育てに専念しました。その後、子どもが幼稚園に入るタイミングで「そろそろ働こうかな」と考えるように。そんな折、地元の病院で働いていた友人が「大手グループ法人の病院長が、パソコン業務の得意な秘書を採用したがっている」と声をかけてくれたので、二つ返事で入職を決めました。ところが入職の2週間ぐらい前に、なんと諸事情により院長が辞職されることになったんです。
-秘書として就くはずだった院長の退職……予想外の出来事です。
結局、私は院長に一度もお会いすることのないまま、医局秘書として働き始めました。急なことだったのでしばらくは理事長が院長を兼務されていましたが、1年ほどして新院長が着任、その翌年に私は院長秘書を拝命しました。新院長が非常にバイタリティあふれる方でドラスティックに院内改革が進んだこともあり、私も秘書として関わる中で多くの経験をさせていただきました。
主な内容としては、企画広報と医師採用、院内全体に関わるプロジェクトの事務局業務です。
企画広報では広報誌のリニューアルをはじめ、病院ブログやFacebookといった新しいチャネルの立ち上げにも携わりました。
一方、医師採用は未経験だったこともあり、へき地ならではの医療の魅力や病院の強みをいかにアピールするか苦戦しましたね。院長の斬新なアイデアや、常に攻めの姿勢で取り組む姿に圧倒されながら、それについていく形で全国行脚と採用広報に励む日々でした。当時はちょうど医師臨床研修制度が必修化された頃でしたから、臨床研修指定病院の取得手続きも担当し、初期研修医の採用も兼務するようになりました。その他、教育研修委員会の委員や病院機能評価の受審に向けた事務局業務なども経験させてもらいました。
-どんどん業務の幅が広がっていますね。
今振り返ると、多岐にわたる業務を通し、病院の仕組みや課題への理解を深められたことはその後のキャリアにつながる大きな収穫だったと感じます。この病院では12年ぐらい働きました。地域に根差した、温かみのあるとても良い病院でしたが、採用業務で全国を飛び回る中、多くの出会いを経て自分の世界が広がったこともあり、異なる環境での挑戦を魅力と感じるようになっていきました。そんな中、新たなステージとなる法人とのご縁をいただくこととなったのです。当時は40歳を超えていたので悩みもしましたが、一念発起して生まれ育った土地を離れることにしました。
-それが、名古屋を中心に展開している偕行会グループだったんですね。
はい。同グループでは、医師採用専任のポジションとして採用いただきました。これまでの経験を活かしつつ、2年9か月の在職期間中に常勤・非常勤あわせて20名以上の医師を採用し、医師募集ホームページの開設も手掛けました。最終的には医療・介護の全職種の採用を進めるリクルート推進部の課長を務めさせていただきました。
当時は特に看護師採用に苦心していたため、募集ホームページの刷新、SNSの立ち上げ、クロスメディアの活用といった企画広報や、全国規模での学校訪問などに力を入れて取り組みました。時には営業先の大手予備校で夏季特別講座の講師も務めるなど、様々な角度から法人のPRにつなげていきました。
キャリアは「選択」でつくられる
-その後、どの様な経緯で和光会グループに入職されたのでしょうか。
実は、キャリア変遷の過程で離婚・再婚を経験し、名古屋から少し離れた岐阜市に移住することになったんです。転居を機に偕行会グループを退職し、専業主婦をしていたのですが途中で退屈になってしまって(笑)。パソコン教室のアルバイトなどしてみたものの物足りず、人材紹介会社で見つけた和光会グループ(岐阜市)の秘書課管理職候補の求人に応募したのがきっかけです。
和光会グループに決めた理由は、二次面接でグループのトップである山田理事長から、法人の理念や目指すところを直接聞くことができ、共感するものがあったからです。医療の場で長く仕事をしてきた私にとって、同グループが展開している介護や子育て、障害事業は未知の世界です。けれど医療を基盤に、地域の要望に応える形で多角的に事業を拡大してきたところにも、とても興味を持ちました。
当初は課長補佐として秘書課に配属され、秘書課長を経て、2019年7月に新設された秘書広報課の課長を拝命しました。現在は6名のスタッフと共に、理事長直轄部署として経営戦略本部の事務局機能を担いながら、法人の更なる認知度アップとインナーブランディングなどに取り組んでいます。
-安藤さんの場合、組織の意図というよりは、ご自身に生じた様々なイベントの中でトライを重ねた結果、新たなキャリアやスキルにつながっている印象です。
そうですね。たとえば、何か新しい仕事を任された時に「無理です」「できません」ときっぱり言う方は今では珍しくありません。でも、それは非常にもったいないと思うんです。自分がやりたい仕事や描きたいキャリアももちろん大切だけれど、目の前で起きたことにしっかり向き合う中でトライし続けないと、成長の機会はなかなか得られないのではないでしょうか。
私が名古屋でお世話になった方からいただいた印象的な言葉に、「人生は選択の連続なんだ。選択の場面に来たときに、どこを向いて自分が進んでいくかで、その後の人生が変わっていくんだよ」というものがあります。私自身、これまで様々な岐路に立たされましたが、自分が選んだある道がまた新たな道につながる、その繰り返しがここまで導いてくれたと感じます。
-選択を迫られたときに、どうやって決めているんでしょうか。
私の場合は、直感で決めることが多いです。もともとすごく好奇心旺盛な性格なので、「知らない世界を知りたい」「自分だけ分からないのは悔しい」という感情が根本にあります。だから“やるか・やらないか”という選択肢に直面した時には、基本的にやる方を選ぶ、というスタンスです。
-今後の展望について教えてください。
これまで多くの出会いに恵まれ、様々な業務を経験させていただきました。病院関係の書籍を出版する機会までいただけるとは、最初の病院に入職した当時は思いもしませんでした。経験のないことを引き受けるのは大変ですが、やり遂げた時の達成感や周囲からいただくフィードバックを励みに、さらに未知の世界へと挑戦していく勇気を持つことができます。この気持ちを大切に、これからも進化し続けたいです。
現在勤めている和光会グループは、90年以上の歴史をかけて大きくなってきました。「みんなを笑顔に。」という当グループの理念のもと、患者さんも、利用者さんも、ご家族も、地域の人も、そしてここで働く全ての職員が笑顔になれるように、グループの一員としてしっかりと役割を果たしていきたいと思います。
-最後に、キャリアに悩む病院事務職の方に、アドバイスをお願いします。
病院事務職といっても、その役割や業務は多岐にわたります。医事、財務、経理、採用、広報、庶務……。しかし、どこかの分野においてスペシャリストを目指すことにこだわらず、チャンスがあれば自分の興味・関心のある分野にどんどん挑戦することが大切ではないでしょうか。「〇〇がやりたいので、私にやらせてください」と言ってくる若いスタッフは、昨今あまり見かけなくなりました。とても残念なことだと思っています。
また、所属する組織で自分の「コレだ!」と思う部署やポジションが見つからない場合は、思い切って転職という道も検討すべきと思います。そうやってキャリアを切り拓き、成功している人は少なくありません。まずは「選択」をして、前に進むことが大切なのではないでしょうか。
<取材・撮影・文:浅見祐樹、編集:角田歩樹>
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