
ニュースや資料でたびたび見かける医療・介護業界ならではの用語。ぼんやりと理解しているけど、部下や同僚に説明できる自信はない…。当シリーズではそんな方々に向けて、医療制度や介護制度、病院経営に関する用語を解説します。第3回は「医師の働き方改革」です。
医師の働き方改革とは
医師の働き方改革は、医師の長時間労働を是正し、健康を確保するとともに、患者さんへ提供する医療の質・安全を維持・向上させることを目的とした一連の取り組みです。
長時間労働が常態化していた医療現場の課題
これまで日本の医療は、医師の自己犠牲的ともいえる長時間労働によって支えられてきた側面がありました。特に、宿直やオンコール対応、緊急手術など、医療現場特有の勤務形態は労働時間の管理を複雑にし、月100時間を超える時間外労働も珍しくありませんでした。このような過酷な労働環境は、医師の心身の健康を損なうだけでなく、ヒューマンエラーのリスクを高め、結果として医療の質の低下につながる懸念が長年指摘されてきました。
医師の健康確保と医療の質向上が制度の目的
そこで、一般労働者には2019年から適用されていた時間外労働の上限規制を、医療の特殊性を考慮した形で医師にも適用することになりました。
この制度の根幹にあるのは、「医師も一人の労働者である」という考え方です。医師が健康で働き続けられる環境を整備することが、結果的に患者さん一人ひとりへの丁寧で質の高い医療提供につながる、という好循環を生み出すことを目指しています。
医師の働き方改革のポイント
医師の働き方改革の主となるのは、「時間外労働の上限規制」「追加的健康確保措置」の2つです。
時間外・休日労働の上限は原則年960時間(A水準)
原則として、すべての医師の時間外・休日労働時間の上限は年間960時間(月平均80時間)までとなります。これは「A水準」と呼ばれ、すべての医療機関が遵守すべき基準です。
地域医療を支えるための特例水準(B水準・C水準)
ただし、救急医療など地域医療に不可欠な役割を担う医療機関や、研修医・専攻医が集中的に技能を習得する必要がある場合など、やむを得ず年960時間を超える時間外労働が必要になるケースも想定されます。
そのために、以下の特例的な水準が設けられています。これらの水準の適用を受けるには、都道府県による指定など、所定の手続きが必要です。
- B水準(地域医療暫定特例水準): 救急医療やへき地医療など、地域医療提供体制を確保するために不可欠な医療機関が対象。上限は年間1,860時間。
- 連携B水準: 自院ではA水準だが、他のB水準指定医療機関へ医師を派遣する場合に適用。上限は年間1,860時間(自院での勤務時間と通算)。
- C-1水準(研修・専攻医): 臨床研修医・専門研修医が、研修プログラムに基づき集中的に技能を向上させる必要がある場合に適用。上限は年間1,860時間。
- C-2水準(高度技能医): 特定の高度な技能の修得を目指す医師が対象。上限は年間1,860時間。
医師の健康を守る「追加的健康確保措置」の義務化
年960時間を超える時間外労働が見込まれる医師(B水準・C水準対象者)がいる医療機関には、通常の健康診断などに加え、以下の措置が義務付けられます。
- 勤務間インターバル: 終業から次の始業までに一定の休息時間(9時間以上)を確保する。
- 連続勤務時間制限: やむを得ない場合を除き、28時間を上限とする。
- 面接指導: 長時間労働の医師に対し、労働安全衛生法に基づく医師による面接指導を実施する。
これらの措置は、長時間労働が医師の健康に与える影響を最小限に抑えるためのセーフティネットです。
病院経営者の取り組むべき対応策
この改革への対応は、単なる労務管理の問題ではなく、病院の経営戦略そのものに関わります。経営層が主導して、以下の取り組みを進める必要があります。
正確な労働時間管理体制の構築
ICカードやPCのログなど、客観的な方法で医師一人ひとりの労働時間を正確に把握することがすべての出発点です。時間外労働だけでなく、宿直や日直、自己研鑽と業務の区別など、これまで曖昧になりがちだった時間も適切に管理・可視化する体制を構築しなければなりません。
タスクシフト・シェアによる医師の負担軽減
医師でなければできない業務に集中してもらうため、他職種へのタスクシフト・シェアを積極的に進めることも重要です。
- 看護師: 静脈採血、各種書類の下書き作成など
- 薬剤師: 処方内容の変更提案、服薬指導など
- 臨床検査技師、診療放射線技師: 検査説明、同意取得の補助など
- 医師事務作業補助者(医療クラーク): 診断書などの文書作成代行、電子カルテの代行入力など
「宿日直許可」の適切な運用と取得
医師の当直勤務について、労働基準監督署から「断続的な労働」として「宿日直許可」を得られれば、その時間は労働時間規制の対象外となります。
ただし、許可を得るには「ほとんど労働する必要のない勤務」であることが条件です。夜間に頻繁な対応が必要な場合は許可が得られず、すべて労働時間としてカウントされるため、実態に合わせた適切な運用が求められます。
36協定の見直しと労働条件通知書の整備
時間外労働の上限規制に対応した内容で、労働者代表との36協定を改めて締結・届出する必要があります。また、採用する医師に対して交付する労働条件通知書にも、適用される時間外労働の上限などを明記することが義務付けられています。
医師の働き方改革の現状と今後の展望
施行からまだ日は浅く、多くの医療機関が対応に追われています。それに伴い、以下のような課題に直面しています。
- 勤怠管理システムの導入・運用コスト
- タスクシフト・シェアを進めるための院内調整や人材育成
- 医師の意識改革と協力体制の構築
- 労働時間短縮による収入減への医師の懸念
これらの課題は一朝一夕に解決できるものではなく、中長期的な視点での取り組みが求められます。
短期的には、一部の診療科で時間外の診療体制が縮小されるなどの影響が出る可能性も指摘されています。しかし長期的には、この改革は持続可能な医療提供体制を築くための重要な一歩といえるでしょう。
医師が健康に働き続けられる環境は、若手医師の確保や定着にも繋がり、医療の質の維持・向上に貢献します。今後は、地域全体での医療機能の分担や連携、ICT技術の活用といった、より大きな視点での変革が進んでいくことが期待されています。