被災地病院、再びの診療危機


南相馬市立総合病院・神経内科
小鷹昌明

2018年3月14日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行

震災から7年を迎え、背に腹は代えられず、本メルマガに久しぶりの投稿をさせていただきます。
2018年度春からの当病院における診療体制に関して、特に内科診療の立場からの予見について、まずはお知らせします。
今年度のはじめまで(すなわち2017年度初旬)、内科診療部門には10名の常勤医師がいました(循環器内科3、消化器内科2、在宅診療科2、神経内科2、呼吸器内科1)。もともと震災前から働いていた医師が3名(循環器内科、消化器内科、在宅診療科、それぞれ1名ずつ)、福島県立医大からの派遣医師が2名(循環器内科2名)、そして、私のように震災後に支援に入った医師が5名です。アレルギー・膠原病・内分泌代謝・腎疾患の専門医は不在なものの150床程度で運営されていた地域病院の規模からみれば、(けっして恵まれているとはいえませんが)そこそこの医師数が確保されていました。当科においても、初期臨床研修を終えた3年目の女医さんを迎えることになり、お陰様で2人体制となり、個人的にも楽しい診療の日々でした。多くの医療支援者の方々には、とても感謝しております。

歯車の狂い出した序章は、消化器内科医である当時の病院長の急な病欠でした。がん検診を目的としたバリウム検査に伴う不慮な合併症が原因で、一時期は人工肛門、人工呼吸器装着に至るまでの重篤な状態に陥りました(お陰様で、現在は回復しています)。その結果、消化器疾患患者を大量に紹介せざるを得ない状況に至ったばかりでなく、内視鏡検査(および治療)の削減へと舵が切られました。電子カルテ導入とヘリポート完備の新病棟建設で出費の重なっていた当院においては、まさに青天の霹靂、経営に大きな影を落としはじめました。

続いて、在宅診療科医1名の南相馬市立小高病院への派遣が決まりました(20 km圏内の旧警戒区域にある病院の再建に力を貸すのは、公立病院としての責務)。さらに、一足先に医師不足に陥っていた市内の民間病院(医療法人社団青空会・大町病院)の応援のために神経内科の愛弟子に白羽の矢が立ち、彼女は進んで出向されていきました。2017年10月のことでした。結果、当科におきましても再びひとり医長を強いられることになりました。
半年間に3人の内科常勤医を欠きましたが、外科医の協力を得ながら、それでもなんとか維持してきました。

復帰の目処の立たない病院長に代わり、後を引き継いだ代行病院長(脳神経外科医)の指示のもと、企画室が立ち上がり経営改善への施策が進められました。“地域包括ケア病棟”が開設され、今春から透析部門の導入が予定されています。包括ケア病棟の実務的責任者は、難病やレスパイト患者を多く扱うという理由から私になりました。血液透析の恩恵を受ける患者はもちろんいるであろうし、確かに経営改善の一躍を担うと思います。しかし、管理するのはおそらく内科医になります。

この4月からの診療体制がどうなるかといえば、消化器内科の前病院長と神経内科の愛弟子は、既に退職しました。ひとり奮闘してきた6年目となる消化器内科医1名の退職に引き続き(相馬市の医療法人茶畑会・相馬中央病院へ就職)、残っていた1名の在宅診療科医の退職(南相馬市内の鹿島厚生病院へ就職)、さらに、小高病院へ派遣中の在宅診療科医の休職が追い打ちをかけています(家庭の事情により地元へ帰省予定)。あっという間に、内科常勤医はこれまでの半数の5名へと減少します。残った5名のうち3名は、循環器内科医なので、当該科のエマージェンシーに対応するだけで手一杯です。そうなると、呼吸器内科医1名と神経内科医である私の1名が、実質的な内科医となり、きっと高齢者や障害者、コモンディジーズの対応に忙殺されることになります。

震災から7年が経過しました。震災前におけるこの病院の常勤医は、全体で14人だったと聞きます。それでもなんとか回っていたのは、高度医療の提供を諦めていたからです。いまは違います。できるだけ断らない医療の実践を目指しています。
少しずつ復興に向かって取り組んでいるこの街での6年間の生活は、医師として、あるいはひとりの人間の生き方として、私をいろいろな意味で成長させてくれました。風化の進む被災地において、支援医師の撤退が止まりません。これからのこの病院の魅力は、いったい何なのでしょうか? 臓器専門性の高い医療は集約化が進み、そこで必要な治療を受けた患者が、回復期病床あるいは地域に戻ってきてケアを受けるようになっています。それでいいと思いますし、実際にそうなっています。

地域の医師の条件として、“何でも診られる”というスキルはけっして誤りではありませんが、自分の専門周囲の疾患程度が、そこそこ診られればまずはそれでいいと思っています。でもそれは若手の医師である必要はまったくなく、専門領域においてさまざまな経験を積んだ、それなりに機転の利く医師で構いません。高齢者患者のすべての病気が診られることよりも、患者個人を“自分らしい暮らし”へと導ける医師の方が大切で、そうした医療者こそが地域医療を回してゆくと私は考えています。

震災跡地というこの場所には、新しい価値観を見出した医師が残っています。すべての診療科を揃えて、救急患者に備えようとするよりも、ここでしか作れない固有の文化価値をもつ医療をどれだけ生み出すかが被災地病院を支えていくための基礎になります。この病院の目指す方向は、日本の行く末を見据えた地域病院としての先駆的な取り組みです。
そのような文化価値を有する医療の創出には、「訴えのはっきりしない高齢患者を正しく理解する」見識力、「健康管理の責任者は、まずは自分であると自覚させられる」指南力、「無理な延命よりは、患者本人の自分らしい生き方を考えられる」想像力、「さまざまな異なる悩みを共有できて、解決の糸口を探れる」共感力、最終的には、総合病院に駆け込むことだけが大切だと教え込ませる医療ではなく、その人らしい生き方を適用していける“やり過ぎない医療体制”です。私たちは前向きに衰退するために、寂しさと向き合いながら、歯を食いしばってこの課題に取り組まなくてはなりません。

震災バブルで集まった医師たちでしたが、ここへきて完全に弾けました。早晩、南相馬市立総合病院の内科部門は立ち行かなくなります。被災地の地域病院は再び崩壊へと向かうのでしょうか、それとも起死回生はあるのでしょうか。残念ながら、いまのところ有効な対処法はありません。多くの苦難が予想されますが、けっして絶望はしません。4月から新しい初期臨床研修医も、2名やってきます。第2ステージへと進みつつある、この街の医療の行く末をもう少し見届けたいと思います。それまで、どうか再びのご支援を賜りたいと願っています。
(MRIC by 医療ガバナンス学会より転載)

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