海外にいる子どもたちの医療事情

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海外にいる子どもたちの医療事情
元田玲奈

2017年8月1日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行

今年4月に第120回日本小児科学会学術集会が開催された。その分野別シンポジウムにおいて、「インバウンド・アウトバウンドの子どもたちに必要な保健医療事情」というテーマでの部分講演を担当した。私はアジアのハブと呼ばれるシンガポールで、10年近く日本人の子供たちの診療を行ない、また、中国、タイ、ミャンマー、インドや台湾にも足を伸ばして邦人向け医療相談活動を行なっている。そのような背景からの講演依頼であった。

患者に対峙する医師としての私自身の姿勢はどこにいても同じであるし、日本の医療現場を離れて久しい上に、元々あまり周りを気にしない性格なので、私はこれまで自分の活動が日本の小児医療においてどういうことなのかを深く考えたことはなかった。そのため、今回のシンポジウムは己の立ち位置を客観視する良い機会であったとは思う。遠隔通訳システムの開発や実例、日本の病院における医療通訳士制度への提言、言葉も文化も異なる外国人を日本の医療機関で診療する時の注意点・問題点、そして、これから海外に旅行・居住する日本人患者の事前医療相談の話など、他の講師たちの発表を耳にして、また、多くの聴衆が会場に集まったのを目にして、「知らなかったけれど、日本もやっと『開かれてきた』ということか」などと、今更ながらに思った。

聞き慣れない「インバウンド」「アウトバウンド」という言葉が象徴するように、「国という単位でその中と外とに場所を分けて、その間での人の出入りを特別に扱い、それぞれの医療を考える必要がある」ということ自体、これまでの日本の医療現場がいかに閉鎖的であったかということを物語っているのかもしれない。良い悪いを議論しているのではなく、ただ、国のあり方自体が「インバウンド」「アウトバウンド」という人や物の流れと一体化しているようなシンガポールにいると、国外に出て行くことも外国人が入ってくることも日常なので、違いを感じたということにすぎない。そして、この「開かれてきた日本の医療」の中で、自分は主に日本からのアウトバウンドの子どもたちを見守る立場にいるのだということを、遅ればせながらに自覚した。今回は学会発表の一部と重なるが、この立場にいないと見えてこないメッセージを発信しようと思う。

前述したように、私はアジア諸国を中心に年に一回主要都市を訪れ、日本人学校や日本人会事務所を会場にして、現地にいる日本人の子育ての悩みや子どもの健康に関する不安などについての相談を行っている。これは海外邦人医療基金、通称JOMF(Japan Overseas Medical Fund)という組織の活動の一つである。JOMFは1984年に設立された一般財団法人で、海外在留邦人の医療不安解消を目的としており、その運営資金は海外に自社の職員を派遣する民間各社の出資金および会員企業の年会費からなる。今回のシンポジウムでは、2016年に東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科(代表 品田佳世子教授)がJOMFの協力を得て行った巡回健康相談アンケートの結果を発表した。これは海外生活における日本人家族の充実度についての調査で、「住環境」「子育て」「教育」「食事」「衛生」「運動」「医療」「おやつ」「歯磨き習慣」という9つの項目の各々の充実度について、「日本を100として、0から200までの数値で評価してもらう」というものである。

私は小児科の巡回相談があった都市(ミャンマーのヤンゴン、インドのデリー、ムンバイ、チェンナイ、プネ、マレーシアのクアラルンプール、ペナン、マラッカ、ジョホールバル)のデータ(相談会参加者合計377人)をまとめた。また、参考までにシンガポールで乳幼児健診や予防接種で来院する健常児の親43人からのデータも回収した。これらのデータをレーダーチャートで視覚化してみると、いくつかのポイントが見えてくる。まず、当然ながら、「食事」は日本の食文化には及ばないということと、「歯磨き習慣」は家庭内のことなので、国を問わずどの都市でも日本と同じ充実度レベルであるということ。また、デリー、クアラルンプール、ジョホールバル、シンガポールといった大都市では、日本と同じかそれ以上の教育レベルという評価であった。おそらく、国際バカロレア教育の充実度などが関係していると思われる。

ジョホールバルはマレーシアの中では規模としてクアラルンプールに次ぐ第二の都市で、近年、父親を日本に残し、母子でジョホールバルに移住して子どもをインターナショナル校に入れて国際的教育をさせようとする家庭が増えている。シンガポールから橋で渡っていけるが、物価は安く、同じインター校に入れるのであれば、「物価の安いジョホールバルで」ということのようである。私が驚いたのは、「子育て」の充実度は、どの都市も日本に比べて決して低くなく、むしろ、シンガポール、デリー、クアラルンプール、ジョホールバルなどは日本よりも高い評価であったことである。
言葉がわからなくても、衛生的に問題があっても、それらを超えて親たちは現地の人たちの温かい目が子どもに注がれ、助けられていることを感じていると言える。このことは、別のアンケートで「日本が変わるべき点は何でしょうか?」という問いに多くの親たちが「子育てしやすい国、子どもに優しい国になって欲しい」と回答していたことと表裏一体と思われ、小児科医としては非常に胸の痛む結果であった。また、「医療」「衛生面」「運動」の3つの項目は比較的相関しており、これらが海外生活の心身のストレスと一番関係しているようであった。

「これから海外で生活をする」という場合、日本にいる時から現地の気候、安全、衛生面、感染症などの情報は多くの人たちが比較的意識して集めており、必要な予防接種を事前に受けていくことも多い。勿論、「百聞は一見にしかず」なので、心の準備をしていても、「こんなはずではなかった」という事態に遭遇するのが現実ではあるが。問題は、意識にすらのぼらない盲点が、海外生活の現実の中では比較的大きな比重を占める、ということである。
特に医療費の問題。一般的に日本人は医療費について他の国民に比べて無頓着な傾向がある。国によって金額や制度に差があるものの、原則、他の国の政府が外国人の医療費まで十分に面倒を見てくれるはずがない。特にシンガポールの医療は社会保障とサービス(自由診療)の二面性があり、さらに、その社会保障も国が全て面倒をみるのではなく、個人責任を持たせて、国民といえども無料で医療は受けられない。その代わり、必要最小限には誰もが受けられるような「手頃な価格の医療提供」を基本姿勢としており、個人の意思でより付加価値のつく医療サービスを求めるのであれば、そこは市場原理に基づく料金を自費で払う、という体制である。

すなわち、同じ虫垂切除術でも、ベテラン消化器外科専門医が執刀するのと初期研修医が執刀するのとでは、患者の支払額は異なるということである。当然、外国人は社会保障の給付対象にはならず、全て「医療サービスを購入する客」という位置付けになるため、医療費は高額となる。例えば、公立小児病院で喘息発作で3日間入院したら5000シンガポールドル、私立病院で小児の鼠径ヘルニアの日帰り手術が10000シンガポールドル、大学病院での教授初診料が120シンガポールドルといった具合である(1シンガポールドル=約80円)。このような状況なので、保険に未加入のままシンガポールで医療機関を受診し、会計の時に驚く日本人は少なくない。勿論、そのために海外旅行傷害保険というものが存在するわけであるが、シンガポールに限らずどの国であっても、これは海外滞在中に発症した疾病を想定しているので、日本からすでに加療されている慢性疾患や先天性疾患は対象外である。

また、海外生活中に適応障害を起こしても、診断日から180日を超えたらそれらの診療にかかる費用は全て自費になる。日本から海外に社員を派遣している日系企業の中には、社員とその家族の医療費について、海外旅行傷害保険でカバーしきれない慢性疾患(例えば、高血圧、糖尿病、てんかんなど)の診療費は会社の健康保険で負担するところもあるが、詳細は企業によって異なる。ましてや現地採用となると高額な医療費は大きな負担である。日本に住民票を置いて国民健康保険料を払っておけば、海外でかかった医療費を後から日本の自治体に申請可能ではあるが、還付額は日本で同じ疾患を治療した場合の金額の7割であり、差額分は自費になる。また、自治体によっては慢性疾患が対象外になっているので、確認が必要である。
その他、先天性疾患や理学療法などの療育を要する疾患の子どもが同伴である場合、公的補助はないのを前提に個々人が対応を考えていかなければいけない。医療を提供する側から言えば多くのジレンマが生じる現場ではあるが、一方で「不要な検査はしない」「検査項目は厳選する」「必要最低限の処方」「フォロー頻度も最小にする」などの小児科医本来の最小介入の意識が日本にいる時よりもさらに磨かれているとは思う。

冒頭で述べたように、日本からのアウトバウンドの子どもたちを見守る立場として、あまり知られていない二つの実情、すなわち、親たちが海外生活の充実度をどう評価しているかというデータと実際に現場で遭遇する医療費の問題を述べさせてもらった。読者の皆様にはこの実情を知った上で、今後とも日本側からアウトバウンドの子どもたちをサポートして頂ければ、と思う。私自身は赤道直下で別の側面から彼らのサポートに精進する所存であり、こうした我々のネットワークで「国をまたいでの小児医療」を少しずつ実現していければ、幸いである。

(2017年8月2日 MRIC by 医療ガバナンス学会より転載)

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