チャレンジングな環境に身を置く若手医療者は、日本の医療にどんな問題意識を持ち、今後のキャリアをどのように展望するのか―。今回は、渡米してキャリアを積んでいる高橋康一氏(MDアンダーソンがんセンター 白血病科アシスタント・プロフェッサー)が、日米双方の医療現場を経験して感じたこと、医師としてのキャリアについて、上昌広氏(東京大学医科学研究所特任教授)と対談します。
日米の医療現場を経験して
高橋氏
日本の医療機関で働いていたとき、日常的な臨床がどこか自転車操業的な印象を受けました。担当患者数も多く、求められる医療の水準も高い。個人的には、「あまり余裕がなかった」というのが、正直なところです。
海外への漠然としたあこがれもあって、米国の医療現場で働き始めたのは6年前です。渡米前から、「米国は日本に先行して医療システムの課題に直面し、医療従事者の労働環境を整備した」とは聞いていました。日米の医療現場でどんなシステムの違いがあるのか、実際に経験してみたかったということもあります。
上氏
日米双方で経験してみて、今のご感想はいかがですか。
高橋氏
確かに米国の方が、医師にとって働きやすいとは思いました。しかし、「日本で初期研修を受けておいて良かった」というのが率直な感想です。
米国では病棟担当の医師が一ヶ月ごとに交代しますし、コメディカルの裁量も大きく、「医師の負担が少ない」という観点から言えば、日本より働きやすい面はあると思います。しかし、米国のこの医療体制が「患者さん本位のシステムか」というと、私はあまり実感が持てないときがあるんです。
特に、ひっきりなしに交代交代で医師がやってきて、患者さんの主治医が誰なのか分からなくなってしまうような米国の状況を見ると、「主治医制がしっかりしている日本の方が、患者さんの満足度は高いのでは」と思うこともあります。日本で初期研修を受け、一人の患者さんのケアに責任感をもって接するマインドを磨けたことは、自分にとって大きな財産になったと思っています。
上氏
これからは日米どちらで活躍していくおつもりですか。
高橋氏
将来的にどうなりたいかについては、まだ定まりきっていません。
ただ、「米国で学んだことを何らかの形で日本にも還元したい」と漠然と思っています。現在、血液・腫瘍内科医としてMDアンダーソンがんセンターという大規模な病院で研究にも従事していますが、アメリカで進められている大規模な研究プログラムを見ると、「オールジャパンで対策を取らなければ、日本は米国と対等にがん医療・研究を推進していけないのではないか」という危機感も募らせています。
医療従事者にとっても無理がなく、患者さんにとってもメリットが大きな医療システムとはどんなものなのか―。日米での経験を踏まえて、自分なりの行動に落とし込めればと思うのですが、なかなか答えが出ません。上先生は日本の医療現場に対して数々の提言をされているので、一度お話を伺ってみたいと思っていました。
上昌広氏が考える、社会を変える方法
上氏
「日本の医療システムをよくしたい」と考える前に、そもそも“システム”とはどういうものなのか、考えなければならないと思います。
「こうあるべき」「こうした方がうまくいく」という理想像を掲げて、ルールや組織図を明示すること自体は簡単です。しかし、それだけで現状のシステムは変わりません。「誰が」「どのように」そのルールを運用するかが、システムの成功を左右する最大の要因です。野球だって、同じルールに従ったとしても、プロとアマチュアがやるのでは、内容が大きく異なりますよね。
東京とテキサスでは、歴史が違います。当然人の考え方も違うので、「テキサスでうまく行っているから」といって、同じルールを東京の医療機関に当てはめたとしても、アウトカムは変わってきます。既存のシステムの問題点を解決したいと思うのであれば、その土地の人に影響を与えた、風土や文化をまずは理解しなければならない。どんな人が住んでいるかによって、根付くシステムも大きく変わりますから。
しかし逆に、その土地のニーズにあってさえいれば、必ず普及しますよ。それは、単に「理念としてもっともらしい」「効率的だ」という表面的なことではなくて、その地域の文化的文脈に合っているということです。
既存のシステムを変えたいと思うのであれば、その地域を知り、小さくてもいいので、成功事例をつくることですね。成功事例があればメディアがそれを取り上げますし、今はSNSも発達しているので、国境を越えてすぐに社会に波及していく。この過程で支持者を形成していくことが重要だと思います。一旦世論と強く合意形成をすると、それは簡単に崩れませんよ。
高橋氏
既存のシステムをよくしたいと思うなら、まずはその地域に住む人々を知ることが大切だ、と。
上氏
あとは「自身の武器は何か」と考えてみるといいのではないでしょうか。高橋先生の場合、ご出身である新潟県の事情が分かるというのは一つの武器だと思いますよ。新潟県は教育水準も高いですし、新潟県で何かしてみるというのも良いのではないでしょうか。
高橋氏
ありがとうございます。ちなみに、私のような若手の日本人医師に、上先生は普段、どのようなアドバイスをしていますか?
上氏
「いろいろなフィールドを移動した方が良い」と伝えています。特に米国は診療内容が細分化されていて、頭が固くなりがちだと思いますし、クリエイティブな発想を持って仕事をするという姿勢も、身に付きづらいと感じています。
高橋氏
確かに、組織体も大きいので、全体を見てクリエイティブな考えを要求される場面は徐々に少なくなってきたかもしれません。良くも悪くも、大組織の中にいると自分がすごいわけでもないのに大きな仕事ができてしまうので、自身を過信してしまう恐れもあるとは思います。
「医師はピン芸人と同じ」
上氏
経験上、自力で考えて行動した経験からしか、人間は強くなれません。
30代後半までにいかにトレーニングを積むかが、その後の人生を大きく左右します。30代半ばまでに「1人でへき地の病院に診療科を立ち上げる」くらいのことをして、「自分で判断して、間違える」という経験を重ねておくこと。その中で自分なりの成功体験ができれば、応援してくれる人はいずれ現れると思います。
「医師はピン芸人と同じ」というのが私の考えです。将来、自分で何かを切り拓きたいと思うのなら、小さな組織でもピンで活躍できる場所に身を置くことが大切だと思います。
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