「医師の働き方改革は患者安全のため」が世界の常識 〜医師の働き方改革を阻害しているのは厚労省と日本医師会〜

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つくば市 坂根Mクリニック
坂根みち子

2018年9月3日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行

2018年8月26日日経の1面に「残業規制、医師は緩く 厚労省方針  救急・産科は上限見送りも」という以下の記事が掲載された。
残業時間の上限を一般の労働者に19年4月から順次適用される年720時間よりも緩く設定。救急救命や産科など長時間の対応が必要な診療科にはさらに例外規定をつくる。一般労働者と同じ規制だと医師不足などで医療現場が混乱しかねないため、独自のルールが必要だと判断した。
まず確認したいのは、医師の長時間労働が問題になっているのは、それが患者安全を脅かすからである。世界医師会(WHA)も2005年に医師の長時間労働は医師の健康を害し、医師の家族にも負担となり、患者にとっても危険である、と述べている(1)。つい最近のアメリカの研究でも、燃え尽き症候群や過度の疲労の医師は、医療事故を起こす可能性が2.3倍高まると報告している(2)。そのため、他の先進国では医師の労働時間を制限し、交代制勤務やタスクシフトを推進し、患者側にも医療機関へのアクセス制限をかけ、本当に必要な人に医療資源を集中できるよう努力をしている。このようにして患者安全のためにも、医師の長時間労働を是正し、医師の健康に気を配らなくてはいけないというのは、他の先進国では共通認識なのである。

さて日本ではどうか。残念ながら、世界の常識は日本の非常識、改革にもっとも抗っているのが日本医師会と厚労省であると言わざるを得ない。
日本の医師は全業種を通じて最も長時間働いている。日勤−夜勤−日勤という、違法な36時間連続勤務が常態化し、72%の医師は夜勤明けの日勤業務が通常と同じだということを厚労省自身が公表している(3)。加えて、時間外賃金さえきちんと払っていないのだ。司法も2013年に産婦人科医の訴訟で現在の当直は夜勤であり違法であると、最高裁が判決を下している。
ところが、日本では医師の働き方改革は遅々として進まなかった。この数年、日本各地で医師不足の問題が数多く報道され、地方から医療崩壊が進行している。ネットの発達で情報が共有されるようになり、疲弊し、無力感を感じる現場の医療者たちが増えている。
そして今回、東京医科大学の入試不正問題が表面化した。365日24時間働き続けられる男性医師を入試の段階で優遇するという秘かに行われていた悪行は、医師の働き方の問題を一気にあぶり出した(4)。多様性のある働き方の排除により、子を持つ多くの女性医師は立ち去り、常勤の医師達に過度にしわ寄せがいった。その象徴的な存在が1999年に過労自殺した小児科医の中原利郎さんだった。遺族として過労死防止法の制定に尽力された妻のり子さんのインタビュー記事(8月22日東京新聞(5))で、当時の様子を知ることが出来る。

六人の小児科常勤医のうち、男性は利郎さん一人だった。部長代理になった同年二月、前部長の六十代の女性が定年退職。三月には五十代で当直もこなしていた女性医師が、両親の介護と両立できず病院を去った。
追い打ちを掛けたのは、半年の育児休業から戻る予定だった若い女性医師の退職だった。乳飲み子がいるのに、病院から「月四回以上の当直をこなせない医者は辞めてほしい」と迫られ、退職せざるを得なくなった。現在、都内で開業するこの医師は「百パーセントを要求されなければ働き続けたかった。辞めて十数年はパートしかできなかった」と振り返る。
利郎さんはこの医師が子育てと両立できるよう当直を二回にする提案書を書いたが、病院へ出せなかった。(抜粋終了)

中原医師の死から20年近く経つというのに、日本医師会も大学病院も多くの医療機関の経営者たちも、厚労省さえもこの問題の本質をまだ理解していなかったのだ。
現場の医師たちの意識は急速に変化している。最近ある大学教授のブログで次のような記述があった(6)が、大学教授がこのような発信をすることなど、少し前までは全く考えられなかった。

男性医師は幸せか
女性医師問題が取りざたされる中で、男性医師の本音はどこにあるのだろうか。
いわゆる男社会が当たり前だった時期を過ごした私の場合、職業人として働いていた妻を妊娠・出産と共に退職に追い込んでしまったという自責の念は今でも拭えない。
朝、病院に出かけていったはいいが、いつ帰るかわからない父親、土日にアルバイトに出かけて不在の父親、家族で買い物に出かけている途中でポケベルが鳴って(当時は)病院に向かう父親。そんな父親に対して、母親が勤務を続けることはできない。
多くの医師の妻が職業人をやめて主婦でいるのは、経済的に共働きが不要なのではなく、働けないのである。彼女達の多くが本当にそれに満足しているかは疑問である。
医師である夫のために職業人をやめ、男性医師はそのおかげで家庭を犠牲にしながら働く。笑ってしまうぐらいに素晴らしき奉仕の精神構造である。(抜粋終了)

今、医療現場の「定額働かせ放題」問題で現場の医療者達の怒りは、曾てない程に高まっている。そのタイミングでの今回の厚労省の発表である。
ある筋からの話では、この方針は日本医師会との間での既定路線だという。
他の先進国では、政府が医師の長時間労働を是認したり、医師を管理しようとした時に、現場の医師を守るために闘っているのは、各種の医療団体だ。
日本では、医師の労働団体はないに等しく、政府との交渉力を持つ団体は日本医師会しかないと言っても過言でない。
それでは日本医師会はどう動いているのか。
日本医師会は、この4月に医師の働き方に関する答申を出している(7)。そこには、医師の長時間労働の是正に全面的に賛成としながらも、以下のように書かれていた。
労働時間制限をすれば、
1)地域の救急医療が崩壊する
2)外来診療を制限しなければいけなくなる
3)産科小児科の撤退が起こり、少子化に拍車がかかる
4)残業代をきちんと払うと経営破綻する
5)医療の質が低下する
6)アクセスや利便性が低下する
どうみても労働時間の制限に反対しているとしか受け取れない。女性医師支援についての記載はあるが、男性医師の働き方についての言及がない。
結局答申では、医療団体として厚労省とタフな交渉をするのではなく、医師の時間外労働の上限設定を厚労省の「省令で決める」と丸投げしていた。
その結果、出てきた方針が「残業規制、医師は緩く 厚労省方針  救急・産科は上限見送りも」であった。
ひどい話だ。要は、日本医師会は経営者側の代表であり、労働者である勤務医についてはこの期に及んで守る気はない。医師の労働時間を制限することが患者安全につながるという世界の常識も当然知らないのであろう。

労働基準法に則って、医師の勤務時間を制限し、勤務医にきちんと時間外割り増し賃金を支払い、医療機関の集約化と患者のアクセス制限をすれば、経営者側からすれば自分の病院の存続にかかわる。日本は世界一ベット数と病院数が多く、100ベットあたりの医師数は、イギリスが100人に対して、日本では17人しかしない(8)。また日本人の外来受診回数は、欧米の約4倍である。医療機関を集約化して医師を集め、交代制勤務をしなければいけないこと、軽症者の外来受診は制限が必要であること、これについては多くの現場の医療者達がもう待ったで進めなければいけないと感じている。また、違法な長時間労働となっている現状に対しては、少なくとも、時間外割増賃金を支払うことが必要不可欠である。
上記答申を見ればわかるように「医療機関の集約化 アクセス制限 時間外賃金の支払い」という3つの柱は見事に答申からはずされていた。利害関係の中心にいる団体と厚労省で、医師の働き方改革の方針を決めるなど、茶番以外の何ものでもなかったのである。
今回の大きな波が医療界の改革につながるかどうかは、国民が現在の医療崩壊の危機を理解してくれるかどうか、さらに勤務医が自らの健康と家族のため、そしてそれが患者安全のためだと認識して行動を起こせるかどうかにかかっている。

参考
(1)医師が「患者の人権を尊重する」のは時代遅れで世界の非常識 平岡諦 P116
「WMA Medical Ethics Manual 2005」(世界医師会の医の倫理マニュアル)
(2)米国医師で燃え尽きが蔓延、重大な医療ミスの原因に
https://www.mayoclinicproceedings.org/article/S0025-6196(18)30372-0/fulltext
https://www.m3.com/clinical/news/616934?portalId=mailmag&mmp=EW180830&mc.l=319888617&eml=dec73da708e24678ff79160c0fd3035d
(3)厚生労働省の労働基準局監
医療従事者の勤務等に関するデータについて
(4)坂根みち子 東京医科大学女子受験生減点事件は医療界の問題が凝縮されている
(5)過労自殺医師の遺族警告「女性排除 男性の命も削る」 女性医師次々去り負担集中
(6)教授室の窓から 2018/8/11
(7)医師の働き方検討委員会 答申(日本医師会)
(8)厚生労働省 人口1000人当たりの臨床医師数、看護職員数、病床100床当たりの臨床医師数の国際比較

(MRIC by 医療ガバナンス学会より転載)

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