川崎市立川崎病院初期臨床研修医
前田裕斗
2014年8月27日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行
「来年から三年間関西の市中病院で働こうと思う」そう言って親を驚かせたのが3ヶ月前のこと。私は現在神奈川県川崎市立川崎病院に初期臨床研修医として勤めている。生まれは東京、中高も大学も東京。ずっと関東で過ごしてきた私が、なぜ関西での後期研修を希望するのか、そしてなぜ医局ではなく市中病院なのか。
私は産婦人科医、特に産科を志望しており、将来の夢がある。それは今後増えるであろう高齢出産とそれに伴う合併妊娠を集約的に扱う「産科センター」を設立することだ。世界で最も高齢化が進んだ日本において、今後出産年齢が若年化することは考えづらく、むしろ晩婚化によりさらに出産年齢の高齢化が進むことが予想される。高齢出産・合併症妊娠は非常に専門性の高い分野だ。疾患ごとに妊娠や分娩に与える影響は異なり、そこへさらに個人個人の形態学的・遺伝学的特徴を勘案する必要がある。こうした専門性の高い分野においては、その分野に精通した専門家が必要とされる。妊娠を望みながら晩婚とならざるをえなかった、持病のために妊娠をあきらめざるを得なかった女性のためにも専門家を集め、育てる「産科センター」を設立したいという夢を抱くに至ったのだ。そうした産科センター設立を実現するために自分がどのような場所で研鑽を積めばよいか。その結論が「関西武者修行」である。
なぜ関西なのか。産科センターの設立、症例の蓄積には関東だけでなく関西、ひいては全国の医師との協力が不可欠であり、全国の医師と協力するためには実際に現場に赴きそこで共に汗を流すことが大切であると考えているからだ。医療には地域性があり、同じ診療科でも東西で異なる部分が多くある。例えば関西では鉗子分娩はほぼ行われないが、関東では依然鉗子分娩を行っている施設が複数残っている。何故その診療法が残っているのか、実際に現場の医師はどのように感じているのか。それは、現場に飛び込んでみなければ決してわからないことだ。実際に関西で研修を行い現場で働いていたということは将来東西の医師と信頼関係を構築し、共に仕事を行う上で活きてくると考えている。
次に何故市中病院での研修を選択したかという点について、入局した場合と比較して述べる。医局に入る利点はいくつかあるが、最も大きな利点は「簡単に成功できる」ことではないだろうか。入局するだけで複数の同期ができ、医局の先輩医師にも世話をしてもらえる。学会発表の機会は多くあり、与えられた課題を適切な指導医の下でこなしていくことで着実に医師としてのキャリアを積むことが出来る。しかし、いざ自分が上の立場に立ってからはどうだろうか。自らで考えて課題を設定し、医局外の自身と異なる環境で働いてきた医師と連携して大きなプロジェクトを進めて行かねばならない。その能力は、3年目から医局に入って決められた道を歩むだけでは培えないように感じる。日本人の自然科学系ノーベル賞受賞者の中には卒業した出身大学で助手、助教授、教授とキャリアを積んだいわゆる「四行教授」が一人もいないが、このこともすぐに医局に入り着実な成長を重ねることが必ずしも大きな成功に繋がらないことを示唆しているのではないだろうか。
「関西武者修行」の目的は、知り合いもおらず、自分にとって馴染みのない環境で自ら動くことで現場での仲間を増やし、自らで課題を設定し達成することで自ら成長する術を身につけることにある。もちろんこの選択が本当に正しいかどうかはわからないが、自分なりの根拠を持ち、自らで下した結論であり後悔はない。10年後、20年後になっても成長し続けることが出来るような医師を目指し、旅に出たいと思っている。
【略歴】
前田 裕斗
2007年3月私立開成学園高等学校卒業
同年4月 東京大学教養学部理科3類入学
2013年3月東京大学医学部医学科卒業
2013年4月より川崎市立川崎病院にて初期臨床研修中
(2015年8月27日 MRIC by 医療ガバナンス学会 より転載)