医療の安全と質の分離~医療安全における院内法務の役割

井上法律事務所 弁護士
井上清成

2016年2月26日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行

1.医療事故調、手堅くスタート
医療事故調査制度がスタートし、昨年3ヶ月間の医療事故発生報告件数は81件であった(10月19件、11月26件、12月36件)。件数で見る限りでは、手堅いスタートであったと評価しえよう。今後もこの調子で、院内の医療安全推進体制の基盤充実が全国すべての医療機関に手堅く普及していくよう望まれる。
医療事故調査制度において何よりも大切なことは、死亡の予期に関する記録記載が充実し、院内すべての死亡症例の記録一式が管理者の下で一元的にチェックされ、それが院内の医療安全推進体制を向上させていく契機となることであろう。そして、医療安全の向上が全国すべての医療機関で各々それなりに、手堅く徐々に広まっていくことである。

2.医療安全推進を阻害する法的リスク
ところが、医療安全の推進には常に法的リスクが伏在していることに注意しなければならない。法的リスクの中心は、刑事(特に刑法)と民事(特に民法)である。形式的には法規範そのものではないが、マスコミ公表などの社会的責任や遺族対応などの説明責任も規範的観点から追及されるので、実質的には法的リスクと密接に関連してしまう。
ヒヤリ・ハット報告事例の収集を考えればすぐにわかるように、それが刑事責任・民事責任・社会的責任・説明責任などの責任追及につながる恐れがあると感じられるようでは、医療安全が推進できない。原因究明などと言い換えたとしても、究明の結果が何らかの責任につながりうるとしたら、やはり同様に医療安全が推進できなくなるであろう。
つまり、諸々の責任追及のリスクは、推進しなければならない医療安全の阻害要因なのである。

3.非懲罰性・秘匿性という知恵
責任追及リスクが医療安全推進の阻害要因であるという現実を直視して、規範的観点からの中立・透明・公正などというフレーズを克服したのが、たとえばWHOドラフトガイドラインにいう「非懲罰性」「秘匿性」という考え方であった。これら「非懲罰性」「秘匿性」は、法的観点からいえばパラダイムシフトと評しえようし、医療安全推進の観点からいえば「知恵」と評しえよう。
厚生労働省も、このWHOドラフトガイドラインの「知恵」を医療事故調査制度に導入し、厚労省ホームページ「医療事故調査制度に関するQ&A」のQ1で明言した。
これに伴い、中立性も患者遺族を除外した院内での中立性(管理者vs従事者、医療安全対策vs診療科、診療科vs診療科、医師vs看護師などの院内での諸対立からの中立)に、透明性も患者遺族などの院外には秘匿した上での院内での透明性(院内事故調査情報の管理者や従事者など院内での共有)に、公正性も責任認定や責任分担を除外した純粋に医学的・科学的な公正性に、パラダイムシフトしたといってよいであろう。

4.再発防止策の法的リスク
非懲罰性と秘匿性を実現すべく、今般の医療事故調査制度では、たとえば,医療事故と医療過誤の概念の分離、事故調査報告の非識別加工、などといった法政策を採用した。
また、再発防止策の報告書記載についても、「調査において再発防止策の検討を行った場合,管理者が講ずる再発防止策については記載する。」(平成27年5月8日付け厚生労働省医政局長通知・別添11頁)という微妙な表現をしている。もちろん,院内の医療安全推進の観点からすれば、これは当然のことであろう。案出した未検証の再発防止策では、果たして当該医療機関で副作用なく上手く現実的に機能するかはわからない。そこで、実際に「管理者が講ずる」場合に限って報告書に記載することとしたのである。
しかし、再発防止策については、法的リスクの観点からも問題が大きい。再発防止策それ自体が、当該医療行為の過失を推認する法的証拠となるからである。

5.医療行為の医学的評価の法的リスク
再発防止策の明示には、非懲罰性と秘匿性の観点から、常に法的リスクがつきまとう。しかし、それ以上にさらに法的リスクが大きいのが当該「医療行為の医学的評価」である。
もちろん、当該「医療行為の医学的評価」は、当該医療行為の過失と直結する法的証拠とならざるをえない。それは、非懲罰性と秘匿性のルールに真正面から衝突する。
念のため誤解を避けるためここに付言すると、「非懲罰性」とは「懲罰と関わらない」という意味であって、過失を基礎付けてはならないのはもちろんだが、過失が無いことを基礎付けてもいけない。有責にも無責にも一切関わらないという意味である。時に、「医療行為の医学的評価によって無過失になったので良かった。」という声も聞くが、それは「非懲罰性」に対する誤解に過ぎない。

6.医療の安全と質の分離
法的リスクは医療安全推進の阻害要因となるので、当然、「医療行為の医学的評価」は「再発防止策の明示」以上に慎重でなければならないであろう。現に、今般の医療事故調査制度では、「医療行為の医学的評価」は無視された。
さらに、より根本的に考えると、医療の安全の向上と医療の質の向上とはイコールではない。もちろん、一部で重なっているところはある。しかし、根本的には、医療の安全の向上と医療の質の向上は、もともと別個のものであり、それぞれ別個の観点から向上させていくべきものであろう。
今までは何となく、質向上が即ち安全向上につながると感じられ、疑問すら持たれないことも多かったように思える。たとえば、医療事故調査において「医療行為の医学的評価」を行うことは、医療の安全の向上と医療の質の向上とを同一視することを当然の前提にしてしまっているようにも感じられる。あくまでも私的な予想に過ぎないが、将来は、「医療の安全と質の分離」という新たなパラダイムシフトが生じるのではないか、とも思う。
さて、それはいずれにしても、これら諸々の法的リスクを察知・回避して、真に医療安全を推進できる院内の法的な支援・整備をしていくのが、医療安全における院内法務の役割なのである。

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