国を挙げて進められている「働き方改革」の影響が、医療現場にも広がりつつある。政府が発表した「働き方改革実行計画」では2019年度から導入が検討されている時間外労働の上限規制の医師への適用を5年先送りにすることになっているが、医師の過労死や過重労働が社会問題化する昨今では、医療機関の労働環境をめぐって待ったなしで議論が進行中。労働基準監督署による立ち入り調査も活発化しており、医師をはじめとする医療従事者の労働環境を整えるために、診療縮小を決断した医療機関も出始めている状況だ。
そもそも「働き方改革」の目的とは何なのか。議論への注目が高まる今、改めて医師の働き方改革をめぐる論点について整理したい。
≪目次≫
働き方改革とは
政府が「日本経済再生に向けた最大のチャレンジ」と位置づけている働き方改革。
1997年を境に労働人口が減少し続けているほか、労働生産性がほかの先進国と比べても低いとされる日本において、働く人の視点に立って、既存の労働制度や働き方が抱える課題を解決することで、労働生産性の向上や、ライフステージに合わせた柔軟なキャリア設計が可能な環境づくりを目指している。政府の「働き方改革実行計画」では、現行の労働制度・働き方の課題として大きく、「正規、非正規の不合理な処遇の差」「長時間労働」「単線型の日本のキャリアパス」の3点を掲げており、以下のような方針での改善を訴えている。
日本の労働制度と働き方にある3つの課題(「働き方改革実行計画 (概要)」より抜粋)
1.正規、非正規の 不合理な処遇の差
…正当な処遇がなされていないという気持ちを「非正規」労働者に起こさせ、頑張ろうという意欲をなくす。
→正規と非正規の理由なき格差を埋めていけば、自分の能力を評価されている納得感が醸成。納得感は労働者が働くモチベーションを誘引するインセンティブとして重要、それによって労働生産性が向上していく。2.長時間労働
…健康の確保だけでなく、仕事と家庭生活との両立を困難にし、少子化の原因や、女性のキャリア形成を阻む原因、男性の家庭参加を阻む原因。
→長時間労働を是正すれば、ワーク・ライフ・バランスが改善し、女性や高齢者も仕事に就きやすくなり、労働参加率の向上に結びつく。経営者は、どのように働いてもらうかに関心を高め、単位時間(マンアワー)当たりの 労働生産性向上につながる。3.単線型の 日本のキャリアパス
…ライフステージに合った仕事の仕方を選択しにくい。
→転職が不利にならない柔軟な労働市場や企業慣行を確立すれば、自分に合った働き方を選択して自らキャリアを設計可能に。付加価値の高い産業への転職・再就職を通じて国全体の生産性の向上にも寄与。
医療機関の働き方にもメス―一方で、医師には猶予期間も
働き方改革の対象はもちろん、企業だけではない。
特に医療業界においては昨今、医師の過労死・過重労働問題が深刻化。厚生労働省がまとめた「医師に関する過労死等の労災補償状況」によると、脳・心臓疾患や精神障害による労災請求件数は合わせて毎年5-10件程度となっており、2012年度から2016年度まで連続で医師の過労死事案が発生している状況となっている=下図参照=。
過労死数以外にも、現場医師の自己犠牲によって日本の医療が成立し続けている証左はある。
「医師の勤務実態及び働き方の意向等に関する調査」によると、病院の常勤医の場合、男性医師だと41%、女性医師だと28%が週60時間以上労働しているという結果に(ここで言う勤務時間は、診療時間、診療外時間、当直の待機時間の合計)。一般に月間残業時間が80時間を超えると「過労死ライン」に達すると言われることから、単純計算で週60時間働けばこの水準に達することを踏まえると、事態の深刻さは分かる。
これらの現状を踏まえ、2017年8月2日に開かれた「医師の働き方改革に関する検討会」において塩崎恭久厚生労働大臣(当時)は、「医師の勤務環境改善策を推進することで、医療の生産性を高めて、提供する医療の質を維持、向上しながら働き方を改善していくことが重要」と発言。タスクシフティングなどの手法も取り入れ柔軟に医師の働き方を改善していくべきだと主張している。
医師の働き方改革、適用は5年の猶予―背景に「応召義務」の問題
医師の過労死・過重労働が社会問題化し、医療業界においても「待ったなし」で議論が進められている働き方改革。一方で、ホワイトカラーと医師では働き方やキャリアのあり方が異なるため、ホワイトカラーと同様の労働制度をそのまま医師に当てはめてはならないという論調も強い。たとえば医師の場合、労働時間外であっても、目の前に診療を求める患者が現れたら診療を行うべきとする、いわゆる「応召義務」(医師法19条)との兼ね合いを考える必要があるとされる。
医師法19条では「診療に従事する医師は、診察治療の求があつた場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない」と規定。厚生労働省によると、患者の診療を断れる「正当な事由」として認められているのは、「医師の不在または病気など、事実上診療が不可能な場合」(昭和30年8月12日付医収第755号長野県衛生部長あて厚生省医務局医務課長回答)で、医業報酬の不払いや診療時間外であっても、患者の診療を拒むことはできないという通知も過去に出されているという(昭和24年9月10日付医発第752号厚生省医務局長通知)。
働き方改革には2019年度の労働基準法の改正も盛り込まれており、その中で、時間外・休日労働の時間数についても法律で新たに上限を規定する方向で議論が進行している。ただ、医師の場合は応召義務があり、「労働基準法の規定を超える時間外・休日労働をこなしたとしても、目の前に患者が現れたら診察をしなければならない」とすれば、規制をつくったところで有名無実となる可能性がある。「働き方改革実行計画」では、以下のように定め、医療界の参加の下、医師に対して働き方改革をどのように適用させるべきか議論を行うこととしている。
医師については、時間外労働規制の対象とするが、医師法に基づく応召義務等の特殊性を踏まえた対応が必要である。 具体的には、改正法の施行期日の5年後を目途に規制を適用することとし、医療界の参加の下で検討の場を設け、質の 高い新たな医療と医療現場の新たな働き方の実現を目指し、2年後を目途に規制の具体的な在り方、労働時間の短縮策 等について検討し、結論を得る。
「医師が足りなければ、働き方も工夫できない」―現場の声も
これまでも度々議論が行われてきた医師の労働環境。今回の医師の働き方改革で抜本的なメスが入ることに期待を示す声もある一方で、医療現場では改革の効果がどの程度見込めるのか、懸念を漏らす声は根強い。特に地方では医師が潤沢にいるわけではない分、労働環境を改善しようにも限界があると考えられているためだ。
働きやすい病院評価サービス “HOSPIRATE”を運営するイージェイネット代表の瀧野敏子氏は「すべての医師が定時退社にこだわると、日本の医療がなりたたないことは、おそらく現場の医師であれば誰もが実感しているはず」と語る。また医療機関の場合、診療報酬と地域の医療ニーズによって収益が決まってしまう分、医師を増やしたからと言って経営上プラスに働くとは限らない。「スタッフ同士が助け合える環境をつくるために医師の増員が必要」という認識を持つ病院経営者は多い一方で、腰が上がりづらい状況だと瀧野氏は説明する。瀧野氏は、増員して働きやすい環境を整えられる医療機関と、そうでない医療機関が2極化しているのが実情だと見ている(本当に進む?医師の「働き方改革」 医師の労働環境はどう変わってきたか)。
労働基準監督署の立ち入り調査にあい、現場医師の労働環境を守るために有名病院が診療を縮小したニュースは記憶に新しい。医療者の自己犠牲に依存することなく、増大する医療ニーズにどう立ち向かっていくべきか。少子高齢化が進む中、医師の働き方改革は国民の生き方にもダイレクトに影響をおよぼすだけに、今後の議論に注目が集まる。
今後の論点、スケジュール
なお、2017年10月23日に開かれた「医師の働き方改革に関する検討会」では、主な論点として以下の項目を列挙。同検討会で有識者や業界団体へのヒヤリング等も交えながら議論を深め、2018年1月には中間整理を行い、その内容を医師需給分科会の議論にも反映。2019年3月ごろには最終的な議論を取りまとめる方針だ。
1.医師の勤務実態の正確な把握と労働時間の捉え方
- 医師の勤務実態の精緻な把握
- 労働時間への該当性
- 宿直業務の扱い
- 自己研鑽(論文執筆や学会発表等)や研究活動の扱い
2.勤務環境改善策
(1)診療業務の効率化等
- タスクシフティング(業務の移管)、タスクシェアリング(業務の共同化)の推進
- AIやICT、IoTを活用した効率化その他の勤務環境改善策(仕事と家庭の両立支援策等)の検討
(2)確保・推進策
- 医療機関の経営管理(労働時間管理等)の在り方、意識改革
- 勤務環境改善支援センターの機能強化、地域医師支援センター等との有機的連携
- 女性医師の活躍支援その他勤務環境改善のための財政面を含む支援の在り方
3.関連して整理が必要な事項
- 時代やテクノロジーの変化を踏まえた、医師の応召義務の在り方
- 病院の機能(特に都市部を含む救急や産科)、医師の偏在、へき地医療等、適切な地域医療提供体制の確保との関係
- 医師の労働時間の適正化、医療の利用の仕方に関する国民の理解
4.時間外労働規制等の在り方
- 時間外労働規制の上限の在り方
- 医療の質や安全性を確保する観点からの勤務の在り方
- 適切な健康確保措置(休息・健康診断等)の在り方
コメント