【インタビュイープロフィール】
医療法人社団聖仁会 栄聖仁会病院
事務長 石田 仁氏
旅行会社に23年間勤めた後、医療業界未経験のまま九州の病院で事務長に就いた石田仁氏。右も左もわからない状態での事務長職は容易ではなく、転職を後悔したこともありました。ようやく自信がつき始めたころ、家庭の事情で地元・関東に戻ることに。保育ベンチャーの役員候補として忙しい日々を過ごしていましたが、「もう一度、事務長をやりたい」と決意します。退職日を決め、焦りや不安と闘いながら進めた転職活動の中で出合ったのは、千葉県、神奈川県にて地域密着型の医療機関5施設を運営する医療法人社団 聖仁会。2度目の事務長業務で見えてきたものとは――?
23年勤めた旅行業界を辞め、医療未経験で病院事務長に
――旅行会社に23年間勤めた後、医療業界未経験のまま、病院事務長にキャリアチェンジしたと伺いました。どのようなきっかけがあったのでしょうか。
JALグループ旅行会社での転勤で福岡県に住んでいたときに、プライベートで、佐賀県にある病院(100床規模)の理事長とご縁がつながったことがきっかけです。
当時はちょうど、JALが経営破綻し、混乱を極めていました。リストラが行われ、支店に120人ほどいた従業員は半分以下に激減。私は九州地区統括マネージャーでしたが、従業員が減った分、負荷も大きくなっていました。
そんなときに、その病院の理事長から「うちの事務長が辞めるから、代わりにやってみないか」と声をかけていただいたんです。それまで旅行業界一筋で、医療はまるで畑違い。「事務長って何ですか」と聞いてしまうほどだったのですが、話を聞いていくうちに、究極のマネジメント業だと感じ、興味を持つようになりました。
実は同時期に、本社から「東京に戻ってこい」という打診がありました。いわゆる栄転で、喜ばしいことではあったのですが、その一方で、自分が旅行業界でやれることはやりつくしてしまったような感覚もありました。
九州という土地を気に入っていましたし、妻に相談したら「JALのブランドに固執しないのなら、病院を選んだら?」と背中を押してくれて。勇気がいる決断でしたが、会社を辞め、病院事務長になるという道を選びました。
――未経験から病院事務長を務めるのは、かなり大変だったのではないですか。
本当に大変で、正直、転職を後悔しました。旅行会社でもマネジメント経験はありましたが、病院の職員は250人規模。右も左もわからない中で、特に有資格者の集団を取りまとめることは、覚悟していた以上に難しかったですね。
私が就任したのと同じタイミングで看護部長も替わったのですが、新任の看護部長に反発したナース30人が退職届を持ってきて。ナース全員で120人ですから、4分の1がいなくなってしまいますが、民間企業の感覚で「手痛いが、やめる決意が固いのなら仕方ない」と、普通に受け入れてしまったんです。そしたら、理事長に「何を考えているんだ。なぜ粘って説得しないんだ」と怒られました。当時の私は、看護基準も知らなかったんです。
まずは医療について知らなければ話にならないと、院長を兼務していた理事長の回診や看護部長のラウンドについていき、必死に勉強しました。理事長には毎日叱られますし、部下から仕事のことを相談されても、自分に経験がないために答えを出してあげられず、日々不甲斐ない気持ちが募っていきました。
事務長としての仕事や病院経営がわかってきて、スタッフもついてきてくれるようになり、経営層から評価もいただくまでに2年くらいはかかりましたね。ようやく自分がやりたいことを取り組めるようになりました。事業計画を立てて、メインバンクを変更し、人事評価制度を作って――。その病院には6年半勤めましたが、本当にさまざまなことを経験させてもらいました。
医療業界を離れたが、「もう一度、事務長をやってみたい」と再チャレンジ
――その後、保育のベンチャー企業を経て、2018年12月に現在の医療法人社団 聖仁会に入職されていますね。
50歳を過ぎたころ、私と妻の親や親族が体調を崩したことを契機に、地元である関東に帰ることになったんです。最初は医療業界を中心に転職活動をしていたのですが、保育のベンチャー企業から役員候補としてのオファーがありました。面接で経営者から「保育業界と医療業界は構造が似ているので、事務長の経験を生かしてほしい」と言われて、入社を決意。しかし、数十カ所の保育園、700人の保育士を統括し、早朝から深夜まで働く日々はかなりハードで……。このままでは体がもたないと思い、再度転職を考え始めたのです。
旅行、医療、保育と3つの業界を経験し、次に何をしたいかと考えたときに、浮かんだことは、「もう一度、事務長をやってみたい」という思いでした。
佐賀の病院時代は、何もかもが初めての状態でスタートして、ようやくわかってきたころに離れてしまった。歯を食いしばりながら培ってきた事務長としての力を十分に発揮できなかった心残りがあったんです。病院は究極のサービス業。そのサービスの最前線にいる医療者が気持ちよく働けるために、事務方として何ができるのか――?佐賀時代にずっと考えていたことに、再度挑戦してみたくなったのです。私の経歴は、ほかの事務長と比べると異質ですが、旅行会社、病院、保育ベンチャーで鍛えられたマネジメント力を生かしていきたいと思いました。
焦りや不安と闘いながらの転職活動の末に
――転職活動はどのように進めましたか。
多くの求人情報を得るために、紹介会社を活用しました。事務長職は各病院に1つしかポジションがありませんし、病院側はイメージを気にして事務長求人をハローワークには出しにくい。エムスリーキャリアのコンサルタントの方と面談して、地元・神奈川県内にある、地域密着型の病院がいいことや、希望年収を伝えました。
本当は次の仕事が決まるまで、会社には退職のことを言わないつもりだったのですが、責任のある立場でしたし、激務だったため、仕事を続けながらの転職活動には限界がありました。コンサルタントと相談して、会社に退職したい旨を正直に説明し、退職前に転職活動に充てられる期間を確保しました。
じっくり転職活動ができるようにはなりましたが、希望条件と100%マッチする求人はなかなかありません。選考も不採用になったり、面接結果の回答がなかなか得られなかったりと、順調とは言えず……。退職時期は3カ月後でしたので、「早く転職先を決めなくては」と焦りましたし、不安もどんどん募っていきます。精神状態としてはかなりきついものがありました。しかし、コンサルタントは「極端に条件を落とさない方がいい」と助言してくれて、粘り強く求人の提案を続けてくれました。 結果、5病院・クリニックを運営する医療法人社団 聖仁会から採用をいただき、2018年12月に事務次長として入職しました。横浜甦生病院を経て、栄聖仁会病院に異動になり、現在は事務長を勤めています。
サラリーマン人生の集大成。「知見・経験をフルに生かし、法人に貢献したい」
――2度目の事務長業務ですが、未経験のときと比べていかがですか。
佐賀時代は、自分の経験のなさから十分に対応できない歯がゆさに苦しみました。しかし、当時起きていた課題は、現在の病院でもデジャブのように起きて、前の病院で出せなかった回答を、今ようやく返せているような感覚があります。未経験で闘い方もわからないまま、試行錯誤していた日々はつらかったですが、自分の中に経験値としてしっかり蓄積されていたんだなとしみじみ感じています。
50代半ばになり、私のサラリーマン人生も集大成を迎えています。自分のために働く時期は過ぎ、今は「働いているみんなが幸せになれるように」という気持ちが強くなってきました。自分が培ってきた知見・経験をフルにいかして、聖仁会にできる限り貢献したいというのが正直な思いです。
聖仁会は理事長がドクターではないこともあり、事務長の裁量が大きいと感じています。その分、自分で考えて物事を動かして行くチャレンジ精神や、それによって生まれた成果をしっかりと評価していただけるため、私自身はもちろんですが、若い事務職員にとっても非常に魅力的な環境だと感じています。栄聖仁会病院に異動して1年が経ちました。まだまだ課題はたくさんありますので、これからいろんなことを仕掛けていきたいです。
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