著者:野末睦(あい太田クリニック院長)
幼稚園から小学校終了までは、自らの意志で何かを始めるということは、あまりないかもしれません。私も長野という地方都市で、サラリーマンの父と、主婦の役割をしていた祖母に育てられ、数か月に一度くらい入院していた母の見舞いに行くという、平凡な生活をしていました。習い事としては、バイオリンを幼稚園から小学校4年生ぐらいまで、書道を小学校4年生くらいから中学卒業までやっていましたが、いずれもそこに行ったときに一生懸命やるだけで、家での練習はあまり熱心でなかったような気がします。これらが能力の発達に役に立ったかどうかは定かではありません。ただ、地元の長野県は、バイオリンを幼少のころから習うことによって、様々な能力を開花させていこうという「鈴木メソッド」発祥の地なので、周囲にバイオリンを習っている子供も多く、その影響で、私もバイオリンを習うことになったのかもしれません。
幼少期の豊富な経験は、その後の人生に良い影響を与える
余談ですが、私の妻も長野市での幼少時代、この鈴木メソッドでバイオリンを習い、小学3年生の時に、選抜された何人かの子供たちとともに、米国中を演奏旅行をして回っています。小さい子供たちが、難曲をそろって弾きこなすさまは、驚きをもって迎えられ、その後全米に鈴木メソッドが広がっていったようです。彼女とは高校3年生の時に出会って、大学卒業の時に結婚するのですが、共通の体験の中に、バイオリンがあったのも、大きく影響していたように思います。
いわゆる学習塾には私は通ったことがないのですが、英語の塾だけは両親の勧めで通いました。小学校2年生くらいから、英語の歌を覚えたり、歌ったりする塾に通いました。英語のネイティブスピーカーが先生だったように記憶しています。今でも英語の発音がうまいねと言われることがあるのは、このころからネイティブの発音を耳にしていたからかもしれません。さらに小学校6年生から3年間、善光寺に関連した教授院というところで、お坊さんから英語を習ったのも印象に残っています。また、NHKラジオの英語講座を小学校6年くらいから高校卒業まで毎朝聞き続け、時にはその日の会話の部分を丸ごと暗記するといったことも行いました。文法よりは会話に重点を置いて学習していたのが、米国留学でもとても役立ちました。
「あなたはなぜ生まれてきたのですか?」への私的結論
自分が生まれてきた意味、さらに踏み込んで、自分自身の使命について、思いを馳せることはとても重要です。音楽などを通じて感性を磨きましょう。英語を年齢に合わせた方法で学んでいくのは当然。
野末睦(のずえ・むつみ)
筑波大学医学専門学群卒。外科、創傷ケア、総合診療などの分野で臨床医として活動。約12年間にわたって庄内余目病院院長を務め、2014年10月からあい太田クリニック(群馬県太田市)院長。
著書に『外反母趾や胼胝、水虫を軽く見てはいませんか!』(オフィス蔵)『こんなふうに臨床研修病院を選んでみよう!楽しく、豊かな、キャリアを見据えて』(Kindle版)『院長のファーストステップ』(同)など。
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