実はあの文豪も影響を与えた?知られざる病院建築の歴史─建築家が語る病院の裏側vol.1

皆さんは病院の「建物」に注目されたことがありますでしょうか。病院は医療や医療機器の進歩に伴い、増改築を余儀なくされるもの。言い換えれば、“変化”を前提として設計されている建物ということです。今回は、そんな病院建築の変化の歴史と背景に迫ります。

診療科別の“城”から、集約型へ

戦前、特に大学病院は医局中心に組み立てられ、こちらの建物は外科、あちらの建物は内科……というふうに、診療科毎に建物がありました。いわば、各科がそれぞれの“城”を持っている状態です。手術室もたくさんあれば病棟も分散しているという、建物として見るととても無駄の多いものだったと言われています。
それが高度経済成長期に入ってから分化していた施設が集約され、縦に高い建物になった。これは、「病院管理学」という概念の導入と、エレベーターや空調といった、ハード面の技術の進歩によるものです。

病院管理学とは、病院の組織とファシリティ(施設)をどうマネジメントするかという考え方で、戦後にアメリカから入ってきました。その結果、「手術室は一か所に」「外来や病棟はまとめる」といった具合に施設の集中化が起こり、合理的な運用が進んだのです。
建築技術の面で大きかったのが、エレベーターと空調の発達です。昔は通気性を良くするために、平屋を棟と棟の間を空けて建てていました。それが、空調が発達したことで、換気を気にせず採光さえクリアすればよくなったのです。技術の進歩に伴い、こうした空調設備やエレベーターが安く広く普及するようになったことで、病院の高層化が可能になりました。

長らく定着していた「堂塔基壇型」

高度経済成長期には、建物の下層に外来と手術室を配置し、その上に病棟が乗る「堂塔基壇型」と言われるスタイルが定着しました。ちなみに、基壇とは建物の基礎になる石造や土造の壇のことで、その上に堂塔が乗っているような形を、病院建築用語で堂塔基壇型と言います。
外来と病棟の間に手術室をはじめとした中央診療部を配置すれば、救急からも病棟からもすぐ患者さんを手術室に運べます。この構造は非常に効率が良いと考えられ、人口が密集している都市部はもちろん、広い土地がある地方都市の病院でも長らく普及していました。

地方を中心に増える「分棟型」

病院管理学の浸透や、建築技術の発展によって、病院の中でも市民権を得た「堂塔基壇型」。ところが実は、最近になって再び「機能ごとに棟を分けよう」と、以前のスタイルに逆戻りするような設計の病院が増えてきています。
なぜか。病院の中で、手術室や放射線検査室など大きな機械を使用する場所は、そうした機器の進歩に伴う変化が生じます。昨今では技術革新のスピードも早まっていますし、その分増改築が必要になりやすい場所とも言えるでしょう。一方で、実は病棟はあまり変える必要がありません。ところが、さきほど申し上げたように堂塔基壇型の病院建築では手術室などは建物の下部に、病棟は上部に配置されています。つまり、手術室などを増改築しようとすれば病棟も新しく作り直さざるをえないのです。そこで、昔のように施設をばらそうというアイデアから、病棟、手術室、検査・外来……と機能ごとに棟を分ける「分棟型」の病院が増えてきた、というわけです。

その走りが、東京大学医学部附属病院です。1980年代から建て替え工事をはじめ、まだ完成していませんが、当初から機能ごとに棟を分けて設計しています。
また、2011年に新築移転した足利赤十字病院も、中央診療棟、外来棟、病棟、健診棟、エネルギー棟、講堂と機能ごとに分かれた棟を廊下で結ぶ形になっています。こうした分棟型建築は、土地のない都会では難しいですが、地方の病院で広がりつつあります。

昔は診療科ごとに分かれていた建物が、無駄を省くために一つに集約され、それが今、再び棟を分ける病院が増えている――。このように、戦後から今に至る病院建築の移り変わりを振り返ると、大きく分けて3段階の変化が起きていたことがわかるのです。

病院の成長と変化を初めて記したのは、あの文豪


今回ご説明したように、病院は成長と変化が絶えない建物です。そのため、病院建築は設計が難しいと言われています。
日本建築学会が発行する「建築雑誌」の創刊号(明治20年)には、「医院建築法」というタイトルの巻頭記事のなかに「最も注意を要し且つ至難を極むの一なり」との記述が見られます。海外に目を向けても、たとえばヨーロッパでは建て替えばかりしており、どう病院を設計したらいいのか、という問いに対する明確な答えは定まっていなかったとされています。

実は、日本人で最初に「成長と変化」の必要性に気づいたのは、あの森鴎外です。軍医でもあった鴎外は、4年間欧州に留学した経験をもとに、本名の森林太郎名義で病院建築法に関する多くの文章をまとめています。そのなかで、コペンハーゲンのある病院が将来の増築のために敷地を確保していた事例に言及しているのです。
以来、病院は変化に対応できる設計をしなければいけないということで様々な試行錯誤が繰り返されてきました。ようやく一定の解が見つかったのが1970年頃。イギリスのジョン・ウィークスという病院建築家によって、成長と変化に耐えうる病院建築の手法がもたらされました。
具体的には、建物の端っこは増築しやすいように必ず廊下を端まで通す、天井懐(天井と床の間の空間)は人が歩いてメンテナンスできるくらい十分にスペースをとる――といった建築上の工夫です。こうした手法は、現在でも用いられています。

地域性や時代性が色濃く反映される病院建築。だからこそ、社会の変化に順応できるよう、その設計にはさまざまな工夫が凝らされているのです。読者の皆さんが勤務されている病院でも、思わぬところにその土地の変遷や、社会情勢による影響を垣間見ることができるかもしれません。時にはそんな、病院の“隠れた歴史”に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
<編集:角田歩樹>

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