なぜ実現できた?病院の『官民統合』~ちば医経塾塾長・井上貴裕の病院長対談~vol.6

目次

「経営的な問題は無かった」なのになぜ?県立病院と民間病院、統合再編の背景とは――ちば医経塾井上貴裕塾長と病院経営者の対談 第3回目にお招きしたのは、兵庫県立はりま姫路総合医療センターの木下芳一院長です。兵庫県立はりま姫路総合医療センターは、姫路循環器病センターと製鉄記念広畑病院の2つの基幹病院を統合再編して2022年5月に開院しました。統合再編の背景には何があったのか。その経緯などを伺います。

【対談】

ちば医経塾塾長・千葉大学医学部附属病院 副病院長 井上貴裕氏
兵庫県立はりま姫路総合医療センター院長 木下芳一氏

定年まであと2年、新病院設立の協力依頼が… 人口53万人の姫路市で「研修医が集まらない」「救急困難事案」の課題解決へ

井上貴裕氏(以下、井上):最初にご略歴を教えてください。

木下芳一氏(以下、木下):兵庫県加古川市出身です。1980年に神戸大学卒業後は内科に入局し、大学院に行った後にアメリカのミネソタ州メイヨークリニックに留学。1997年に島根大学消化器内科の教授に就任しました。

島根大学には23年間勤務していますが、副院長や医学部長などを経て、定年まであと2年というタイミングで病院建設への協力を要請されたのです。兵庫県からの派遣という形で、製鉄記念広畑病院の病院長に就任することになりました。

その後兵庫県立姫路循環器病センター院長にもなり、2年間は兼任しています。2022年5月に2つの病院が統合し、新たに誕生した兵庫県立はりま姫路総合医療センターの院長になりました。

井上:製鉄記念広畑病院と兵庫県立姫路循環器病センターを統合再編することになった、一番のきっかけは何だったのですか。

木下:最も大きな理由は、姫路市に大きな病院がないことです。姫路市の人口は約53万人ですが、当時の一番大きな病院が姫路赤十字病院で560床、それ以外は姫路聖マリア病院で440床、国立病院機構姫路医療センターが405床など、400床前後の病院がいくつかあるという状況でした。

例えば私が23年間働いていた島根県出雲市と比較すると、出雲市は人口が約17万人に対して600床の島根大学病院、568床の県立中央病院に加え、200床規模の病院が3つほどあります。また、島根県の県庁所在地である松江市は人口が約20万人に対して、599床の松江赤十字病院、470床の松江市立病院に加えて、300床規模の病院が3つほどあります。

姫路では人口約53万人の医療を、中規模病院6つ程度でカバーしていたのでギリギリの状況だったのです。さらに言えば地域に医育機関がなく、400床規模の病院では研修医が集まらないため、どの病院も医師確保に苦労していました。

救急医療への対応も困難で、救急搬送困難事案と呼ばれる事案がおそらく全国平均の3倍近くになっていたと記憶しています。そこで、救急医療と人材確保の問題を解決するために、医育機関に相当するような病院をつくり、卒後研修がしっかりできる体制を整える必要がありました。

2つの病院が統合再編。看護師の9割以上、医師のほぼ全員が新病院へ

井上:統合再編の対象として、県立姫路循環器病センターと製鉄記念広畑病院が選ばれたのはなぜですか?

木下:姫路にある県立病院は県立姫路循環器病センターのみだったので、まず同センターの規模を大きくして総合病院化しようという話がありました。その相手として、同じ大学から医師派遣を受けていた製鉄記念広畑病院に白羽の矢が立ったのです。

製鉄記念広畑病院は経営的な問題はなかったのですが、医師確保に苦労していました。

姫路循環器病センターも循環器疾患と脳血管疾患に特化しており、入院患者1人あたりの平均稼働額単価は11万円を超えるなど経営面な問題はありませんでしたが、建設から40年が経過して建て替えが必要になっていました。そこで、建て替えるならば総合病院化して人材育成できる病院にしたい、というのが県の意向だったのです。

井上:県主導の統合再編だったのですね。それぞれの病院のスタッフはどうなったのでしょうか。

木下:スタッフは統合後の病院にも引き継がれ、事務職員はほぼ全員が県の事務職員になりました。本来県の事務職員は、病院だけではなくさまざまな部門に異動しなければなりません。しかし病院の事務職員はある意味で専門職なので、県に「病院事務職」という新しい概念を作り、管理職以外は病院以外には異動しないという条件で雇用しました。

また、看護師も約9割以上は、技師もほぼ全員が新病院に移ってきました。医師は大学の医局に所属する人が多かったのですが、やはりほぼ全員異動しています。

製鉄記念広畑病院は民間病院でフレキシビリティーがあったので、病院を閉めることが決まっていても呼吸器内科や呼吸器外科、歯科口腔外科などの新たな診療科を立ち上げることができました。そのため、新病院開院までに約70人いた医師数を約90人に増やすなど、あらかじめ人材確保を進めることができたのです。

統合再編から2年、医師150名から230名に増加 「他院からの引き抜きはせず」最終的には院内医師数350人を目指す

井上:統合再編前後で医師数はどのように変化したのですか。

木下:医師数は増えました。姫路循環器病センターが約60人、製鉄記念広畑病院が約90人でもともと約150人でしたが、そこからさらに約80人増やし、640床の新病院開院時点では医師数は約230人となりました。1年後に736床でフル開院した時点で医師数は257人。さらにこの4月には290人を超えます。最終的には350人を目標としています。

井上:神戸大学から来る医師が多いのですか。

木下:総合内科と救命救急センターは、専門医の育成プログラムを立ち上げて、独自に若い医師を集められるように取り組んでいます。それ以外の診療科については、基本的に神戸大学から医師を派遣してもらっています。上の世代については、製鉄記念広畑病院にいた医師を中心に、さまざまなところから来ていただいています。 

基本的に、他の病院から引き抜くようなことはなく、急に増やすような形は取らないように配慮しています。開院してから2年が経過しますが、副診療科長クラスの医師は人事異動によって他院の診療科長になるなど医師の動きも活発です。イメージとしては、神戸大学にとっては分院的な病院として、人材育成にも取り組んでいると理解してもらっていると考えています。

井上:診療エリアが広がったということはありますか。

木下:あります。姫路駅近くに開設したため交通の利便性が高まり、北部からもがんや消化器、整形など多くの患者さんが来るようになりました。そのため、北部にある公立神崎病院や公立宍粟総合病院などとの連携も深まりました。

井上:ありがとうございました。

――まとめ――

対談前編は、姫路循環器病センターと製鉄記念広畑病院が統合再編して、はりま姫路総合医療センターができた背景を伺いました。後編では、新病院開院にあたって周囲から強い反対があったこと、どのようにそれを克服したのかを伺います。

(文:医療ライター 横井かずえ)

>>組織の成熟期に必要な病院長のリーダーシップとは~ちば医経塾塾長・井上貴裕の病院長対談vol.5

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