著者:野末睦(あい太田クリニック院長)
質問:中学時代の部活動に潜む危険とは何でしょうか?
※編注:質問に対する「私的結論」を次回掲載します。
中学生時代はバレーボール部に属し、その活動に没頭しました。朝の7時半から夕方19時まで毎日練習がありました。ここでは、クラブ活動の思い出の中で、バレーコーチとして有名だったS先生の巧みな、ある意味ではダークな手法についてお話したいと思います。
無名なT中学を有力校に育て上げたS先生
S先生は私の中学に在籍していたのですが、私の入学と入れ違いに田舎のT中学へと転出しました。T中学はそれまで無名でしたが、S先生の赴任後、急速に力をつけて、3年目には長野県で優勝も狙えるような力をつけていました。一方私たちも、そのS先生が残していった伝統があり、それを継いだ先生も、一生懸命に指導してくれたので、やはり県内でも有数のチームになってきていました。
私たちの顧問の先生は、夏の大会の前にそのS先生率いるチームと練習試合をして、できることなら、いろいろとコーチをしてもらおうと考えたのでしょう。わざわざ、T中学まで遠征する約束を取り付けたのです。審判は当然S先生です。T中学の選手が、サーブを打って、私たちがそのレシーブをした瞬間に笛が吹かれました。「え?」。ごく普通にレシーブをして、セッターにきれいに返したのに、ドリブルで反則だと言われたのです。私たちは9人制バレーの最後の時代で、6人制にも入りつつあったのですが、その6人制バレーの目で見ると、ドリブルだというのです。それから、8人連続でドリブルを取られました。もう私たちは大混乱です。その時に、S先生は、「仕方ない。試合にならないから、ドリブルについてはこれから目をつぶろう」と試合を続けました。でもその時には、チームはガタガタ。そして彼らは、私一人にブロックを絞ってきます。完全に委縮してしまった私たちは、得意の攻撃は、結局出せずじまいで、あっという間に試合を落としました。S先生は、「今日はこれ以上やっても仕方ないから、レシーブの練習を少しして、帰りなさい」と追い打ちの一言をかけてきました。
帰り道、私たちの顧問の先生は、「絶対あれはドリブルではない…」とつぶやいて、無言になってしまいました。結局、私たちは長野市の大会で、後の県大会優勝チームと接戦の末敗れてしまい、K中学と戦うことはありませんでしたが、もし戦っていたらと想像すると、ぞっとします。今思い返してみると、中学の大会であっても、このようないろいろな戦いが行われているということを理解し、その対策も練っておく必要があったのだと思います。
野末睦(のずえ・むつみ)
筑波大学医学専門学群卒。外科、創傷ケア、総合診療などの分野で臨床医として活動。約12年間にわたって庄内余目病院院長を務め、2014年10月からあい太田クリニック(群馬県太田市)院長。
著書に『外反母趾や胼胝、水虫を軽く見てはいませんか!』(オフィス蔵)『こんなふうに臨床研修病院を選んでみよう!楽しく、豊かな、キャリアを見据えて』(Kindle版)『院長のファーストステップ』(同)など。
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