著者:野末睦(あい太田クリニック院長)
質問:なぜ医学部進学を選ぶのでしょうか?
※編注:質問に対する「私的結論」を次回掲載します。
高校時代の後半には、もちろん重要な決断をしました。そうです。進学先として、医学部を選んだのです。
東大理IIIを目指して
私はもともと理系、文系のどの科目も、同程度の成績でした。そして、小さい頃より、政治家などになって世界平和を目指したいと考えていたので、東京大学の法学部を目指していました。そこに進学した兄の影響もあったのでしょう。でも、3年生になる頃、やはり病気で苦しんだ母のことや、周囲の勧めもあって、医学部受験に傾きつつありました。そして、正直にお話すると、その頃受験で最難関の学部が医学部で、しかも東大の理科III類には、その頃長野高校から合格する人は皆無。長野県全体ではほぼ毎年松本深志高校から1名が合格するという状況だったので、そこに合格して、松本深志に勝ちたい、県で一番になってみたいという、競争心が一番だったのです。
高校1、2年生の成績が芳しくなかったこともあって、自分自身に気合を入れる意味もありました。3年生の初めの親子面談で、進学希望先を東大理IIIと担任の先生にお話ししたところ、「やる気は大事で、希望を尊重するけれど、君の今の成績は128番だよ。頑張りなさい」と言われたのをよく覚えています。一緒に行った母には、帰宅してから「睦に任せていて、東大理IIIを受けると聞いていたけれど、実際の成績を聞いて、顔がほてってしまうほど恥ずかしかったよ。よく考えなさい」と言われました。このことが私のプライドに火を付けました。中学時代に養ったセルフイメージも大いに役立ったと思います。やっと、受験勉強に全力で集中するようになったのです。夏休み前には、50番台、夏休み明けには30番台、年末には16番、年が明けた時の模試では2番まで、成績が急上昇しました。私自身も、周囲の人も、もしかしたらと思い始めたその時に、私を除く家族全員が入院し、特に母が2月10日に亡くなり、勉強が手につかなくなりました。受験直前に東大から筑波大学に変更して、幸い合格することができました。
医学部を選択した本音
医学部を選択すると、その後の人生全体がある程度決まってくるので、とても大きな選択、決断でしたが、競争心、名誉を求める心から選んだというのが本音で、少し恥ずかしく思います。医師になってよかったなあと現時点で感じているので、結果オーライではあります。現在の受験システムでは、私のように考えた人も多いのではないかと思います。仕方ないことなのかもしれません。
野末睦(のずえ・むつみ)
筑波大学医学専門学群卒。外科、創傷ケア、総合診療などの分野で臨床医として活動。約12年間にわたって庄内余目病院院長を務め、2014年10月からあい太田クリニック(群馬県太田市)院長。
著書に『外反母趾や胼胝、水虫を軽く見てはいませんか!』(オフィス蔵)『こんなふうに臨床研修病院を選んでみよう!楽しく、豊かな、キャリアを見据えて』(Kindle版)『院長のファーストステップ』(同)など。
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