病院経営のスペシャリストを養成する「ちば医経塾-病院経営スペシャリスト養成プログラム-」塾長である井上貴裕氏が、病院経営者の心得を指南します。
著者:井上貴裕 千葉大学医学部附属病院 副病院長・病院経営管理学研究センター長・特任教授・ちば医経塾塾長
目次
予算と事業計画は、経営者からの公式メッセージ
2022年度が始まりました。新たなスタッフを迎え入れ、心も新たに病院運営に取り組まれていると思います。まん延防止等重点措置が全ての地域で解除され、コロナと共存しながら病院経営を行う決意をされた方も多いことでしょう。今年度の目標をはじめ、様々なメッセージを職員に発信したいとお考えかもしれません。
病院長からのメッセージを職員に伝えるには、朝礼や院内報、病院ホームページなど多様な方法があります。中でも経営者としての考えを示す公式メッセージの代表格は、やはり予算とそれに伴う事業計画だと思います。
しかしながら、予算と計画を示せば病院長の考えが現場に伝わるかというと、決してそうではありません。
今回は、予算と事業計画の現場への効果的な伝え方をお伝えします。
まず前提として、昨今、予算や計画を作成するのが難しい状況にあることは誰しも実感されているでしょう。病院経営において、これほど先が見えない時代はありません。
今後、新型コロナウイルス感染症の空床確保等の補助金がどうなるのか、現段階ではわかりません。私は国の財政事情等を考慮すれば、楽観的に考えることは難しいと考えています。かといって、患者数をコロナ前の水準に戻せる確証もありません。そんな中で策定した予算を本当に実行できるかは、半信半疑といったところでしょう。
今後の状況次第では、年度途中で補正予算を組むなど柔軟な対応が求められますが。しかしその可能性があるとしても、ひとまず現時点で決定した予算とそれに応じた患者数等の目標を、組織に浸透させる必要があります。
それでは、現場職員まで浸透させるために、病院長は何をしたらいいのでしょうか。
病院長が職員に伝えるべきはただ一つ。「我々は何を目指しているか」
まず、事務長や各診療部の幹部に予算・計画を伝えるだけでは不十分です。もちろん上意下達は組織の原則であり理想ですが、現実の指揮命令系統は軍隊のようには機能しません。となると、やはり院長講話などで全職員にメッセージを発する機会を継続的に持つことが大切になります。
一方で、院長自ら話しさえすれば、職員が理解してくれるわけではありません。昨今の世界事情を見ても明らかなように、メッセージ一つで、聴衆は鼓舞されることも、やる気を失うこともあり得るのです。
大きな組織を1つの方向に導くために病院長が伝えるべきことは、ただ一つ。「我々は何を目指しているか」。しかも、できるだけ簡潔に示すことが大切です。
特に院長就任当初は意気揚々と理想に燃え、「あれもこれも実現したい」と考えがちです。しかしそのすべてを職員に伝えても、十分に理解され、実際に行動に移してくれることはまずありません。反対に、細かな情報が独り歩きしてしまい、最も重要なメッセージが伝わらないこともあります。伝え方次第では、かえって現場に混乱をきたすかもしれません。
「職員によって理解力はさまざまである」ということを前提に、語り掛ける内容を考えましょう。まるで赤ちゃんに問いかけるように、わかりやすくシンプルなメッセージにすることが望ましいです。さらに、その実現によりどんな未来が待ち受けているのか、紙芝居を読むかのごとくストーリーを語りましょう。
決して、自らの知的レベルを誇示するように高度な内容を話したり、難しい言葉を使ったりしないようにしてください。
一般企業では、従業員に目標を浸透させるために、「KPI(重要業績評価指標)」や「KGI(重要目標達成指標)」などを用いますが、私は病院でそのような専門用語を安易に使用することには否定的です。
一部の企業のように、スタッフ皆が一定の経営リテラシーを有していれば機能するでしょう。しかし、病院で働く職員(委託業者等も含め)の多くはそうではありません。そもそも「自分は医療専門職。経営は専門外」という意識が強い職員も多く、大半は経営用語に興味すら示さないでしょう。そんな言葉を使って目標を示したところで、職員の心には響きません。病院組織の末端まで浸透することはないと思います。
千葉大学病院での職員への予算・方針の伝え方
最後に、私が副病院長を勤める千葉大学医学部附属病院の2022年度病院収入予算の概要と、それに伴う方針の職員への伝え方をご紹介します。
我々は「空床確保等の補助金はない」という前提のもと、前年度を30億円以上回る、過去最大の400億円超の予算を策定しました。コロナ以前、2019年度の補助金等を除く病院収入が360億円程度だったことを踏まえると、かなり強気の予算設定です。
コロナ病棟を確保しながら、この病院収入を実現することは容易ではありませんが、収支均衡を図るためには必要な金額です。もちろん、支出の適正化もセットで取り組む所存です。
強気な予算を策定しただけに、達成のためには職員にも高い意識を持ってもらいたいところですが、経営幹部が「医業収益〇億円を達成しよう!」と伝えても、残念ながら誰も興味を持たないでしょう。病院職員にとって収益は結果論でしかないことを我々、経営陣は忘れてはいけません。
一般企業なら「売上〇億円達成!」が社員にとっても目標になるかもしれませんが、病院の場合は売上目標で組織を牽引することはできません。病院職員が目指しているのは良質な医療提供を行い、地域に貢献することに他ならないからです。
そのため、予算額そのものよりも、経営陣が目指す病院の姿を皆にわかりやすく伝えることが何よりも大切だと考えています。
2022年度予算策定に当たっての基本方針(我々は、必達業績指標と名付けています※1)には
- 新入院患者数
- 新入院の約半数を占める手術件数
- コロナ禍で減少した外来新患者数
の増加を掲げました。
※1 どの職員でも理解しようと思えば、理解できそうな言葉を選びました。それでも、きっと「理解しよう」と思う職員は多くないのでしょうが……。
予算策定にあたっては、新入院患者数年間2万人、手術室における手術件数年間1万件などの具体的な目標数値ももちろん定めているのですが、病院全体の数値を示されても一般職員にはピンとこないでしょう。現場は、自らのこととして捉えなければ動きません。
各人に意識させるためには、基本方針を診療など部門単位での目標・取り組みに落とし込む必要があります。
以下が診療部への目標の伝え方の例です。
この必達業績指標の実現のためには、DPC/PDPSにおける診断群分類別の平均在院日数「入院期間Ⅱ」以内の退院患者割合を75%以上に維持する(※2)ことと、入退院支援のさらなる強化が必要だと考えています。
※2 現状は70%後半
また、予定入院患者で実施率が高い手術については、手術枠の効率的利用を促進し、治療終了後には早期の逆紹介を積極的に行います。そして、再診外来患者数を減らし、新たな紹介患者の受け入れを増やす仕組みの構築が必要です。
そのためには医師事務作業補助者の有効活用なども重要です。この取り組みは、働き方改革にもつながっていくはずです。
また、経営者が示す「目指す姿」に一貫性を持たせることも大切です。予算策定のたびにコロコロ変わっていては、職員の不信感が募ります。当院の基本方針も年度によって微妙なマイナーチェンジはあるものの、柱は常に一貫しており、毎年メッセージとして発信し続けています。
さて新年度。
病院経営者は組織を牽引していくために、まずは職員に対して「一貫性のあるわかりやすいメッセージを発すること」を肝に命じていただきたいと思います。
【筆者プロフィール】
井上貴裕(いのうえ・たかひろ)
千葉大学医学部附属病院 副病院長・病院経営管理学研究センター長・特任教授。病院経営の司令塔を育てることを目指して千葉大学医学部附属病院が開講した「ちば医経塾-病院経営スペシャリスト養成プログラム- 」の塾長を務める。
東京医科歯科大学大学院にて医学博士及び医療政策学修士、上智大学大学院経済学研究科及び明治大学大学院経営学研究科にて経営学修士を修得。
岡山大学病院 病院長補佐・東邦大学医学部医学科 客員教授、日本大学医学部社会医学系医療管理学分野 客員教授・自治医科大学 客員教授。
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