日本、タイ、カンボジアにおける麻酔の比較

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麻酔科医 染川友理江

2018年10月2日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行

今回私は、日本で麻酔科医として働きながら得た友人・知人のつてで、タイとカンボジアの計4つの病院の手術室を見学する機会に恵まれた。各国の1人あたりのGDPを見ると、日本は38,439.52USDで世界25位、タイは6,590.64USDで世界86位、カンボジアは1,389.63USDで世界156位と差が見られる。麻酔についても日本の麻酔は他のアジアの国の麻酔よりも優れている、という意識を今まで抱いていた。確かに日本で行なわれている麻酔は他の国に比べて安全性が高い。しかし今回4つの病院の手術室を見学して思ったのは、どこの病院の麻酔にも長所と短所がある、という事である。
まずはじめに行ったのは、カンボジア国内最大の小児専門病院である国立小児病院だ。首都プノンペンにあり、小児外科手術が年間2000~3000件行われている。口唇口蓋裂顎裂骨移植などの手術を見学した。使っている揮発性麻酔薬がハロタンである事に驚いた。日本ではすでに製造が中止されている、何世代も前の古い揮発性麻酔薬である。国立病院なので、供給される揮発性麻酔薬はハロタンと決められているらしい。
また、手術の途中モニターを見ると、患者の体内の二酸化炭素濃度(CO2)が上昇していた。CO2吸着装置内のソーダライムが消耗し、CO2を吸収できなくなっている。ソーダライムは代えがなく、交換が不可能だという。この状態は、呼吸によって吐いたCO2を再び吸っている状態であり、すぐに患者の体に重大な影響を及ぼす事はないが、好ましい状態ではない。「供給されるものの中で麻酔をかけないといけないのでしょうがない。」この病院の環境は、私が日本でいつでも好きな時に高価な薬を使える環境と大きく異なった。
ただ、私が普段行っている麻酔の1人分の費用で、ここでは約9人に対して麻酔をかけられる。(日本における費用をフェンタニル・ロクロニウム・レミフェンタニル・プロポフォール・スガマデクスを使用し約12,400円、カンボジアにおける費用をスキサメトニウム、チオペンタール合計1,400円とした場合。現地でのハロタンの値段が不明な為、揮発性麻酔薬については除いた)

次に行ったのは、プノンペンから車で6時間かかる所にあるクラチェ州病院である。使用している揮発性麻酔薬はハロタン。麻酔器はベンチレーターがついていない物が1台あるのみ。麻酔器につける換気用のバッグや蛇菅は供給が少なく、テープで補強して使っていた。薬は、未使用の残薬を破棄せず、すべて使い切っていた。また挿管チューブは1回使用したものは洗ってとっておき、2回使用したら捨てるという決まりになっていた。使用している麻酔薬や麻酔法については、国立小児病院とそう大差はなかった。
しかしこの病院では、さらに厳しい環境の中で、看護師達が麻酔科医からの指導をほぼ受けることなく全ての麻酔をかけている。物的資源のみならず、人的資源も都市部と比べ足りていない。その割には、年間2000件もの手術をこなし、地方の中核病院としてきちんと機能している。ただ、安全面については、患者の自発呼吸が回復する前に抜管したり、抜管後サチューレーションが下がったり、やや不安になる場面にも出くわした。特に大人の全身麻酔の抜管時について、麻酔科医による技術指導も必要性を感じた。

次に、タイのMetta Pracharak国立病院を見学した。約150床の眼科専門の病院である。清潔な手術室には、眼科手術の為の専用の機器が置かれ、設備は近代的である。導入にはチオペンタールとプロポフォールが使われていた。使っている揮発麻酔薬はセボフルランとデスフルラン。日本において1番新しい揮発麻酔薬であるデスフルランが使用されているのを見て驚いた。その事を若手麻酔科医に伝えると、「この病院では揮発麻酔薬の使用量はそこまで多くない。だからデスフルランやセボフルランを使用しても、病院の医療費を圧迫しない」使用理由としてまず費用についての意見が出てきた事に驚いた。日本の麻酔科医に聞いたなら、デスフルランの使用理由として、まずは覚醒度の速さについての意見が出る事だろう。

次に見学した病院はQueen siriki国立小児病院である。456床の、タイ国内最大級の小児科専門病院だ。ここで主に使用されている吸入麻酔薬はイソフルラン。「以前はセボフルランを使用していたが、手術件数が多く、セボフルランの使用が病院の経費を圧迫した為、現在はイソフルランを主に使用している」とのこと。TAPブロックや上肢のブロックも盛んに行われていた。ブロックで使用している機材は日本と異なり、普通の24G針と小さなハンディタイプのエコーであった。麻酔科医は4人。見学させて頂いた症例は、喉頭・気管軟化症の新生児に対する、ファイバースコピー検査の手術であり、呼吸管理が難しい症例である。日本に留学経験のある5年目の麻酔科医師がレジデントに麻酔の指導を行っていた。その医師の技術はとても高く、多くの日本の麻酔科医が、この症例を見学する事によりたくさんの学びを得る事ができるであろう、と感じた。私が従来抱いていたイメージより、タイの2つの病院での医療水準は高かった。

日本に留学経験のある麻酔科医達に、日本と自国の麻酔のどのような点が異なるか、質問してみた。「医療機材や器具の質が日本では高い。日本では使い捨ての物が多い。麻酔器に取り付けるバッグの外袋を開けただけで、サイズが違うからと捨ててしまった上級医を見た時には驚いた。日本で日常的に使われているブリディオンのような高価な薬は、自国ではなかなか使えるようにはならないだろう。また、異なる職種間の連携が良くとれていて、それが緊急事態に気管支ファイバーがすぐ準備されるなどの医療の質の向上に寄与していると思った」。ちなみにもう一度日本で留学をしたいかという質問には、したいという答えが多かった。アジアの国々に滞在すると、そこに住む人々の日本に対する憧れや関心の高さをいつも強く感じる。

私個人としては、ある程度以上の医療の質が多くの病院において保証されている所が、日本の医療のすごいところだと思った。途上国においてこれが達成される為には、経済的に発展する事が必要なのは自明である。その為には、個々の国において、職業選択の多様性の達成と、個人の財産の確実な保護を行う事が重要であると述べる経済学者もいる。また今回複数の病院を見学させていただいて、それぞれの病院ごとに問題点が異なった。麻酔の質を改善する為には、それぞれの病院特有の問題を洗い出し、一つ一つ解決をしていくのが、結局は一番近道なのだろう、と思った。例えばカンボジアのクラチェ州病院において、本来難しいとされている小児麻酔の技術支援よりも、成人麻酔の抜管時の技術支援の必要性を今回感じたように、だ。

また個々の問題を解決する為には、病院内で決まった職員により改善が試みられるよりも、国内・国外留学などを含めた、他院との積極的な連携を押し進める事が効率的・効果的であると思う。カンボジアのクラチェ州病院において、小児麻酔の技術が成人麻酔の技術に比べ高いのは、プノンペンの国立小児病院とつながりが深く、小児麻酔の指導や研修が行なわれている事と関係があるように感じた。よく、外国人による短期的な医療の提供はその国の医療を改善するのに効果的ではないと言われるが、その病院特有の問題点を洗い出し、現地のスタッフと協力して改善に取り組むというようなスタンスを取れば、外国人による短期滞在も有意義なものになるのではないだろうか。

また、私が今回アジアの医療者達から1番学んだ事は、医療スタッフ1人1人が医療のコストについて高い意識を持つ事の重要性だ。私は麻酔科医としてまだ2年と半年しか経験がない。普段私が日本で使用している麻酔薬は、主に新しく高価な麻酔薬ばかりである。高価な薬は、最近発売された為、1番使用しやすく、また半減期が短い薬や副作用の少ない薬が多く、患者の安全にとって1番良いという意識を持っていた。その意識が完全に間違いだとは思わない。しかし当たり前だが医療資源は有限である。今回、私自身が医療のコストについて常日頃から多くを考えていない事が問題だという事に気がついた。今後具体的には、今使い慣れている新しく高価な薬ばかりでなく、多くの優れた上級医の先生方がそうしているように、古くに発売された薬についても、安全な使用方法を学んでいきたいと思う。最新の薬ばかりでなく様々な薬を使いこなせるようになる事が、麻酔の技術向上の為にも、医療コストの面からも、好ましいと考える。

また、医療現場において、患者の安全性が最重要であると叫ばれるようになって久しい。訴訟問題の増加などを受け、私自身学生時代から初期・後期研修中、患者の安全を最優先することの重要性を叩き込まれた。時々私は、患者の安全を免罪符のように使ってしまう事がある。例えば筋弛緩拮抗薬であるスガマデクスは、1バイアル8836円する高価な薬だが、筋弛緩薬をほぼ完全に拮抗し患者の自発呼吸を回復させる為、使用する事により安全性が高まる。使いやすい薬であり、私自身この薬をよく使用するし、何度も助けられた。しかし患者が筋弛緩状態から回復している場合など、必ずしも必要でない症例でも、患者の安全の為、念の為、とスガマデクスを使用してしまった事がある。
スガマデクスナトリウムがこのように広く普及しているのは日本だけであると聞いた事がある。患者の安全性を向上させる事と、持続的に質の高い医療を提供し続けられること、どちらも必要不可欠であると思う。患者の安全を、思考停止の言い訳にする事がないよう、私自身細心の注意を払おうと思った。

(MRIC by 医療ガバナンス学会より転載)

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