女性外科系医師の産みどき働きどきはいつか?~「スーパーママ医師」の舞台裏


小内友紀子

2018年11月7日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行

東京医科大学の女子学生の入学者数を制限していた問題で、女性医師と働き方などの問題が取り上げられている。中学3年生と高校2年生の娘を持ち、福島県いわき市のときわ会常磐病院で泌尿器科医師として単身赴任している私としても、興味をもってこの問題を見守っている。先日の女性自身(2018年10月9日号)の取材を受け、スーパーママ医師4人のうちのひとりとして記事になった。かなり良いことをたくさん書いていただいた。しかし、実際の生活はどうなのか、私自身の子育て、仕事について語りたい。
女性医師の人生を考えた時に、結婚や出産、子育ての問題は避けて通れない。ご縁があった人もない人も、一度も考えたことがない人はいないだろう。医学生だったころは、将来は結婚もしたいし子供も欲しかった。それが卒業して東京女子医大の泌尿器科の医局に入局し、研修医(その頃は今のような研修制度ではなかったため、いきなり泌尿器科医として働いた)として働くと、ちょっと変わってきた。朝は7時前から病棟で患者さんの採血やレントゲン撮影、カンファレンスという上級医の先生たちとの話し合いのために患者さんのデータや情報整理、その後手術や外来の検査などにいき、それが終わるまで仕事。夜になってからはカルテを書いたり明日以降の指示を出したりといった業務、病院そばの自宅に帰るのは週に3-4日といった具合。土曜日、日曜日も当たり前のように病院で仕事をしていた。そんな生活で妊娠?出産、ありえな〜い。だいたい出会いだってないし、デートだってできないよ、無理無理。と思っていたのだ。

28歳頃になると、高校の友人がぽつぽつ結婚しだし、自分も結婚したくなった。あちこちに声をかけていてであった(?)のが、兄の友人である現在の夫である。31歳のときに結婚、出産し現在に至る。

もちろん子供が小さい時の子育ては手間がかかった。子育て中の女性医師支援というと、院内保育や病児保育が重要視される。私が勤務していた神奈川県津久井郡(現:相模原市)の津久井赤十字病院(現:相模原赤十字病院)ではそういった自前の保育施設はなく、近隣の保育所は当時1歳からしか預かってくれなかった。出産後3ヶ月で泌尿器科を立ち上げるべく一人医長として赴任した私には驚きだった。
夫と協議の上、作曲家である夫が日中は子育てをし、外来が終わる昼になると子供を病院へ連れてくる、昼休みの間は広い泌尿器科診察室で子供をあずかり、外来が始まる14時になるとまた連れて行って、夫が自宅で面倒をみるというスタイルで乗り切った。夫が仕事で家を離れるときは自分や夫の両親にお願いする、一家を巻きこんだ子育てであった。
3年間働く間に第2児を妊娠し、本来であれば大学病院に籍を戻して出産するところ、院長先生に直談判して、産休を8週間にする、その間女子医大の泌尿器科の医局から代診の先生方に1週交代できてもらうこと許可をえて、乗り切った。第2児も1歳までは自宅での保育であった。夫、家族、病院のスタッフ、医局の協力体制なしには乗り切れなかった。津久井湖のほとりにあるのんびりした病院で、周りの人の目も温かかった。子育て経験豊富な看護師さん、助手さんたちにアドバイスを受けながら、楽しく子育てをすることができた。

神奈川県の病院で3年の勤務を終え、大学病院へ戻ることになった。今でこそ医局員の人数は増えたが、当時、大学病院内で勤務する泌尿器科医局員は数が少なく、教授、助教授を除くと10人程度だったように記憶する。その人数で週に20件近くの全身麻酔の手術、病棟、外来、検査に加え、バイトと称する外の病院での勤務、当直などを回さなくてはならない。子供達もどうにか保育園に入園することができ、普通の外科医の仕事をやらなくてはならない私は、家のことは夫に任せて、男性医師と同じ様に働いた。
朝は7時からカンファレンス、その後は手術、病棟、外来、検査など、終了する時間は未定。終わったらカルテやそれ以外の指示や雑務、ときには当直、外の病院での勤務、学会の準備やスライド作りなど。朝は皆が起きる前に家を出て、夜は皆が寝静まったあとに帰る生活。この間のことは、あまり記憶がない。子供の成長もよく覚えていない。
その頃に病棟の「班長」もやっていた。班長は病棟の患者さんを受け持つ、グループ=「班」の責任者である。入院してきた患者さんは外来主治医が手術などの責任者だが、入院中の細かな体調の変化などを責任持ってみるのが班のメンバーと班長である。一つの班は4-6名程度で当時は構成されていた。ある先生に、「いままで子持ちの女性の先生で班長をやった人は少ないのではないかな。先生すごいね。」と言われ、そんなものかと思ったこともある。それなりに忙しいが、手術もたくさんできたし、カンファレンスはさまざまな症例が検討できるので、非常に勉強になった。患者さんが合併症なく必要な手術や処置を終え、元気で退院されるのは外科医の喜びである。また、外来も週に2日担当していた。大学病院の外来は様々な患者さんが来られ、病気だけではなく、どのように対応するべきかなど非常に密度の濃い時間を過ごせた。

班長を終わるころ、教授に女性排尿障害センターの立ち上げに関わらないかと打診を受け、癌でも移植でもない仕事に興味をもった。それ以降、大学病院でベッドフリー(直接入院患者を受け持たない仕事)の立場になりつつ、外来や検査、手術などを行ってきた。三年ほど前にとある先生から、現在のときわ会常磐病院での勤務を勧められ、いろいろな大学病院での仕事を調整して2017年1月より福島県いわき市で勤務している。(その経緯についてはMRIC Vol.154 「お母さん泌尿器科医、いわきに行く」をご参照ください)

現在働いている、ときわ会常磐病院では週4日の勤務だが、朝から夜までびっしり外来、手術、病棟の勤務などが入っている。オンコール担当や当直も定期的に行っている。忙しいが、医師は自分の仕事に集中できるようにシステムが考えられており、雑務に貴重な時間が取られることが最小限に抑えられている。外来や手術室、放射線、透析、リハビリテーション、事務のスタッフも優秀で患者さんのためになることであれば、積極的にいろいろなことに取り組んでくれる。将来的にいわき地区全体の排尿ケアの向上に関わりたいと思っているが、まずは自分が今いるところで一生懸命に働くことを目標にしている。

木曜日の勤務が終わると東京へ帰り、日曜日の夕食後にいわきへ戻ってくる生活である。いわきへの赴任開始はちょうど、上の娘が高校1年生、下の娘が中学2年生になるタイミングであった。私の目論見としては中高一貫校に入学してしまえば、あとは普通に勉強や学校生活を頑張り、高校はそのまま進学し、大学受験は自分でやるだろうくらいに思っていた。

が、気軽に考えていたがそれは大きな勘違いであった。詳細は今回は語らないが、下の娘が規律性調節障害になり、中学に行かれなくなった。現在も毎日行かれているわけではなく、治療を続けている。

親が子供のことに責任を持たなくてはならないのは、子供が何歳になるまでだろうか。先日、40歳近くになる子供の覚せい剤使用の逮捕で、70歳台の親である女優さんがコメントなどを出したが、それは極端な例としても、おそらく大学生になるくらいまでは親が責任をもって子供の面倒を見るのが通常と思われる。
女性医師が例えば30歳で子供を産んだとすると、子供が18歳になる48歳までは子供の面倒を見続けるとする。子育ては手をかければ際限がない。手作りの食事、読み聞かせ、一緒に遊んだり、習い事をさせたり、送り迎えをしたり、勉強をみてやったり。丁寧にするには1日24時間、ずっと子供のことをしていても足りないくらいだ。ましてや次の子供が生まれれば、やるべきことは2倍、3倍に増える。30歳で出産するのはむしろ早い方で、30代後半、40代で出産することもあるだろう。子供が成人すれば自分はもう還暦である。子育ての時期と、医師としてトレーニング、円熟する時期が完全にぶつかるのである。
子育ては小さな子供のうちだけではない。小学校に上がれば学童保育があるが、通常は保育園のように丁寧にはみてくれない。小学校が終われば中学だが、思春期も大事な時期だ。今になって、思春期こそ親の目が必要と実感した。

自分のこととして考えても、女性医師(特に外科系)の仕事と家庭のバランスを取るためのうまい解決策は思い浮かばない。だいたい、結婚も出産もご縁なので、タイミングも含めて自分でコントロールできない面が大きすぎる。ただ、勉強をしたい、仕事をしたい、子供のいる女性医師を支援する仕組みがあれば良いと思う。お金をかけなくてもよい、仕事ができる環境と、子育てをする環境、周りの目とメンター、本人がつぶれないようにする仕組み、能力のある人を引き上げる組織づくりが必要だ。各々で違うだろうから、一律のやり方は難しいだろう。これから介護をする医師も男女問わずに増えてくるだろうから、それも同様に考慮が必要だ。

外科医のトレーニングはやはり初めのうちが肝心だ。若くて体力があるうちに、ある程度基礎的な手技を身につける必要がある。いろいろな経験を積んで勉強するとともに、初めは人がしている手術を見て勉強する、次に指導を受けながら自分でやる、教わらなくても自分より若い医師を相手に一緒にできる、最後に人に教える、と段階を踏んで習熟していく。手術や手技にも難易度があり、だれでも容易に身につけられるものから、技術が必要で、安全にある程度の時間でやるためには鍛錬とセンスが必要なものまで幅広い。
私が語れるのは泌尿器科領域についてだが、仕事と家庭を両立しながら女性医師が手技や手術を身につけるのであれば、ある程度分野を絞るのが効率的ではないか。癌なら癌の手術、結石なら結石の手術と自分がやりたい分野を絞ってその分野のスペシャリストを目指すのだ。その施設によって「私はこの分野の専門です」といえるようなところと、広く浅くやらなければならないところがあるだろう。大学病院のように人がある程度確保されている施設はスペシャリストを目指しやすい。人員がそれほどいないところは各人がそれなりの分野をカバーできないと成り立たない。

病院勤務医は働く時間、お金の面でいろいろ制約が大きい。医師も特に若いうちは、自分の働き方について希望を伝えたり、選んだりできない。また、女性の場合、あえて自分の希望を言って、誰かとかけあうよりは、あきらめて静かに別の方法を選んでしまうのではないだろうか。女性医師が入院管理や当直の必要のないクリニック勤務や非常勤の仕事を選ぶのも理解できる。自分なりの働き方で、周りに迷惑をかけないように、自分の、家族の生活を充実させることができるだろう。しかし、高齢化社会の中で、急性期の疾患で入院や手術などの治療を必要とする高齢者はますます増えてくる。女性医師の割合がいくら少ないとはいえ、全てを男性医師が担当するのは無理がある。これからの働き方を考えている女性医師たちに病院勤務医を選んでもらう、続けてもらう工夫が必要だろう。

(MRIC by 医療ガバナンス学会より転載)

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