県立病院統合直後に就任した院長が語る「あの頃」と現在~ちば医経塾塾長・井上貴裕の病院長対談vol.4

目次

ちば医経塾井上貴裕塾長と病院経営者の対談第2回目のお相手は、2018年に院長へ就任した兵庫県立尼崎総合医療センターの平家俊男院長です。2つの県立病院が2015年に統合して誕生した同センター。統合の経緯から統合後の状況、コロナ禍の対応などをお話いただきました。

【対談】

ちば医経塾塾長・千葉大学医学部附属病院 副病院長 井上貴裕氏
兵庫県立尼崎総合医療センター 平家俊男院長

統合から3年の県立病院に着任し、1年で病院長に

井上:はじめにご経歴を教えてください。

平家:京都大学を卒業後、小児科教室に入局しました。小児科研修を終えた後は関連病院を含めて研修を受け、4年目に大学院に入学。大学院の終了後は助手を経てアメリカで分子生物学を研究する研究所に留学しました。

2年半ほど留学した後に大学へ戻り、血液や免疫疾患などを主に診療していました。当時はちょうど免疫不全での移植が非常に大きな話題となっていましたが、移植といっても、今のように造血幹細胞バンクがあるわけでもありません。患者さんの親御さんから骨髄を採取して造血幹細胞を分離し移植するような時代で、大変苦労した記憶があります。

このような病態を十分に把握し、患者さん・医療者にとって安全で質の高い診療に繋げるためには、もっと基礎的な部分を理解した方が良いだろうと思い、東京大学医科学研究所に開設された幹細胞シグナル分子制御研究部に着任し、血液幹細胞やES細胞の治療への応用を研究するようになりました。5年ほど経った頃に、母校である京都大学の小児科教室に戻り、准教授、教授、最終的には副院長に。その後2018年、兵庫県立尼崎総合医療センター病院長に就任したのです。

井上:尼崎総合医療センターに来た当初は、病院長代行だったのですよね。

平家:はい。1年に満たないような短期間で転任の話が進んでいったので、準備期間が必要でした。その頃、発足した一般社団法人日本免疫不全・自己炎症学会で初代理事長をはじめとして複数の仕事を継続する必要があったため、まずは病院長代行として着任。1年後に正式に病院長へ就任しました。

市内に2つの県立病院。赤字・医師不足の課題に直面し、病院統合へ

井上:尼崎総合医療センターは歴史のある病院ですが、今までの歴史について簡単に教えていただけますか。

平家:兵庫県には、県立病院が指定管理も含めて13病院あり、私の着任前は、尼崎市だけで県立尼崎病院と県立塚口病院の2つが存在しました。同じ市内に2つの県立病院があるため、経営面や合理化の観点から、統合の問題が随分前から議論になっていたと聞いています。

1997年に塚口病院が赤字に転落し、医師不足や患者数減少など経営面の難局に直面しました。その一方で、尼崎病院は、高度急性期病院として発展するためには診療科が限られているという課題があったのです。この2つの病院は距離的にも4~5キロメートルほどしか離れていませんでした。

そうした状況の中、2010年に「尼崎病院・塚口病院の統合再編基本構想」が立ち上がり、2015年には兵庫県立尼崎総合医療センターが開院しました。

センターの開院にあたって、必要な診療機能とされたものがいくつかあります。がん医療の充実や脳血管、心臓などの血管系疾患の診療機能の充実拡充。さらに、もう一つ非常に重要なポイントは、救急医療と小児医療、周産期医療の拡充です。

これらが阪神地区で十分に機能を果たしていないという課題があったため、この領域を充実させることを使命としてセンターが設立されました。

井上:医局の構成はどのようになっているのですか。

平家:この2つの病院は、もともとほとんどの診療科が京都大学の医局となっていますが、一部の診療科では神戸大学の医局になっており、この状況は現在でも継続しています。他の県立病院については、多くは神戸大学が医局となっていますが、大阪大学の医局になっている病院もあります。兵庫県は非常に人口が多いので、関西の3つの大学が協力・連携しながら兵庫県の地域医療を支えている状況です。

「働きたい病院作り」で若手の看護師が増加 離職率5%以下を達成!

井上:統合に伴い、看護師の辞職などはありましたか。

平家:ありがたいことに、ほとんど辞職はありませんでした。職員の辞職率が低いことは、私たちの病院の強みの一つです。

私は院長就任の当初から、4つのモットーを掲げてきました。

1つ目は高度急性期・高度専門医療、教育、研究の充実、2つ目は地域連携の強化、3つ目が病院のガバナンスやマネジメントの向上、最後の4つ目は「働きたい、働きやすい病院づくり」です。その中で、看護師の働き方にも気を配ってきました。現在も離職率は5%を切るかどうかという非常に低い割合で抑えられています。

また、比較的若手の看護師が多いことも当センターの特徴です。病棟の師長も30代後半から40代はじめが多く、非常に熱意を持っており、新しいことに取り組む気概にあふれています。

井上:5%の離職率というのはかなり低い数字ですね。

平家:一時期7%まで上がったこともありますが、2桁に達したことはありません。働き方についてきめ細かく配慮してきた結果だと自負しています。

病院の力「瞬間風速は120%、それ以外は90%でいい」スタッフを守るのも病院長の務め

井上:コロナ禍では、とくにコロナに対応する病院に看護師が集まりにくいなど、採用に苦戦する病院が増えました。

平家:2022年頃は少し苦労しましたが、2023年には定員を十分満たす程度まで確保できるようになりました。コロナ診療に関しては、最も大変なときでは730床の中で139床分の看護師を46床のコロナ病棟(重症、中等症のみ)に配置したり、他の県立病院へ応援に出したりなど苦しい時期がありました。

誤解を恐れずに言えば、コロナ禍における私の方針は「持てる力の100%を常時出す必要はない。瞬間風速で必要なときは120%を出し切るが、それ以外は90%でいい」ということです。患者さんを守ることが大事であることと同様に、病院の職員を守ることも私の務めだからです。併せて、職員が創意工夫できるのりしろも大事だと思っています。

コロナ禍ではなかなか思い通りの診療ができないことも多々ありましたが、そのような時であるからこそ、やはり心の底から働きたい病院、働きやすい病院を目指したいというのが私の信条なのです。

診療単価は10万円超。患者数減でもコロナ前を上回る医療収入を実現

井上:コロナ前と比べてなかなか患者数が戻らない、稼働率も上がらないという病院が多くあります。先生のところはいかがですか。 

平家:コロナ前の稼働率はおおよそ93%。着任時は95%まで上がりましたが、高齢化に伴って後方連携にも時間がかかり、93%に下がりました。コロナ禍では730床のうち46床をコロナ病床とし、そこに150床分の看護師を配置するなど苦しい時期もあり、82~83%まで下がりました。その後87%程度まで回復し、2023年後半以降は90%程度に回復すると見込んでいます。

一方で診療単価については、従来9万7000~9万8000円だったものが、10万円を超えるまでになり、医療収入としてはコロナ前を上回る状況になっています。

とはいえ、まだまだ整備しなければならない課題はあります。たとえば高齢化が進み、退院までの後方連携に非常に時間がかかっているのが現状です。また、患者数がコロナ前まで回復していないため、新規患者の開拓も課題です。

コロナ前とは異なった視点も必要ですが、個別の分野では、がん診療における外来化学療法はコロナ禍を経ても伸びています。30床のベッドを1日2回転しても足りない状況となっており、対策が必要です。

井上:診療の中身にまで踏み込んでの対策や改革が必要なのですね。ありがとうございました。

次回は、平家先生が院長に就任してから取り組んで来たことや、先生の考えるリーダー像などを伺います。

>>「泥かぶるのは院長、手柄は職員のもの」有井滋樹氏に聞く~ちば医経塾塾長井上貴裕の院長対談vol.3

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