傷ついた医療者のためのサポートシステム・プロジェクト:Heals 設立への想い―永尾るみ子


Heals 代表
永尾るみ子

2017年10月31日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行

この度、私たちは、医療事故等に直面し傷ついた医療者のためのサポートシステムの普及および同じく傷ついた患者家族へのケア提供を目的とするHeals(Healthcare Empowerment and Liaison Support)プロジェクトを立ち上げました。遺族、医療者、学識経験者など、患者家族へのサポートと医療者へのサポートは、不可分の一つの過程であるという志を同じくする仲間によるプロジェクトです。このプロジェクトの着想に至った経緯を代表としての私の経験から述べてみたいと思います。
私は病院で赤ちゃんを突然に喪った経験から、赤ちゃんを亡くした親への精神的サポート活動(SIDS家族の会:福井ステファニー)に参加し、20年以上が経過しました。この間、ミーティングや電話相談を中心に多くのご遺族との出逢いがありました。喜び・幸せであるはずの妊娠・出産が、悲しみに変る時、あるいは、幼い我が子との突然の別れを体験したとき、遺族は想像も出来ない喪失感と苦しみを長く、繰り返し、経験します。

しかし、その苦しみを表出、あるいは、誰かと、共有できる事は少なく、まして、「亡くなった理由が明確でない。」あるいは「明らかな医療事故」によるものは、遺族の悲しみをより一層深いものにします。それは、子どもに限らず、大切な人を亡くした人は誰しも同じではないでしょうか。 受入れがたい現実に怒りがこみ上げ、攻撃し、それは、医療者に向けてだけではありません。周囲の優しさや、慰めから出た言葉さえ、非情に感じ、孤立状態に陥ります。やり場のない想いは自責の念に変わります。当時の、私はそうでした。

しかし、遺族サポートの名の下に、ビフレンダー(=to be friend=友達になる)という役割を与えられたことで、多くのご遺族の体験を聴き、仲間となり、それは、相手を支えるのではなく、自身を癒やす旅へとなりました。その途中、出逢った、多くのご遺族は、医療者への不信・不満を口にします。それは、病院で子どもを亡くしていなくても、自宅や保育園で子どもを亡くした場合も、解剖という段階で、医師・警察といった人々との接触があり、その、説明・取り調べにおける段階で、傷つくことは、体験者でないと計り知れません。

一方で、その現状を何とかしようと奮闘されている、医療者(当時:東京女子医科大学 仁志田博司教授)に出逢ったことで、私は、憎しみや怒りから解放されました。それは、私だけではありません。お子さんを死産され、医療者の心ない言葉に傷つき「もう二度と子どもは産まない」そう思ったご夫婦が、遺族ミーティングに参加した小児科医との出逢いで、「こうして、患者・家族(遺族)の声に耳を傾ける医師もいるのだ」と、医療にもう一度期待をし、次の妊娠を決意されこともあります。

本来、患者の回復あるいは、治癒。生命の誕生の手助けをし、よりよい生活が出来るように願っている医療者の方が多いはずなのですが、なぜ、そうは、いかないのでしょうか。・・言葉の大切さ、対話の大切さを遺族と関われば関わるほど、医療者と関われば関わるほど、必要と感じるようになり、ただ聴いて終わりではいけないと思うようになりました。それは、早い段階で、より、患者に近い場所で、継続的に行う必要があると感じていました。

そうした時に出逢ったのが、「メディエーター」という言葉でした。医療メディエーション(早稲田大学:和田仁孝教授)の考え方に触れ、医療現場で両者の橋渡しが出来ればと願い、40代で看護学校に入学。現在は、小児科看護師として医療に従事しています。
しかし、看護という教育の現場・臨床での体験は、想像を遙かに超えるものでした。臨床1年目、医療の現場を知るにつけ、架け橋など可能なのだろうかと思い悩むことも多く、経験のまだまだ未熟な私は夢が叶ったという希望や想いより、苛酷な勤務時間と多重業務に追われ十分な関わりが患者さんと出来ていないのが現状でした。「こんな状態で、人の命と関わっていいのだろうか?」、疲労から、仕事に対する充実感があるとは言い難く、「あ~。今日も無事、ミスなく・事故なく終えることができた。」という安堵がその頃の、自分の充実感となり、反面、いつか医療事故の加害者になるのではないだろうかという恐怖との背中合わせでいることも事実でした。「決して事故は起こそうとして起きるものではない」こともわかりながら、現場にいれば起こってもおかしくないシステムの中にいることも痛感いたします。だからと言って、許されることでもありません。

両者の立場を知るにつけ、患者・家族(遺族)と医療者の架け橋になどなれるのだろうかと迷う自分がいました。また、そんな中で、守秘義務もあるため、外部で話すことも出来ず、システムの中で、事実を把握する努力はできても、その人のケアまで出来ているかどうかは疑問です。多くの同僚が辞めていく中、仲間だから話せること、話せないことがあり、必ずしも、自身が整理し乗り越えられることができず、セルフメディエーションを行う前に、疲弊し、孤独になること、あるいはその感覚が麻痺する日常に陥るのを見てきました。

こうした経験をする中で、多忙で苛酷な医療現場の現状の中で、医療事故等に直面した医療者も本当に傷ついていることを強く感じるようになりました。それを、重く受止め医療現場を去る人がいることも事実です。患者・家族(遺族)だけでなく、医療者も深く傷ついている。遺族のケアが必要なように、医療事故等を経験した医療者にもケアをしていかないと、亡くなった者(遺族)も、事故を起こした者も前に進むことができないのではないかと考えるようになりました。「もし、医療事故を自分が引き起こしたらどうする?患者さんが亡くなったらどうする?」と、同僚に質問をすれば、皆「辞める」と言います。「過程は関係なく亡くなったら、続けていけない」と、・・・。

しかし、ご遺族が、事故の事実をしっかり受止められた上で「亡くなった事は許しがたいことだけど、生前、あなたには本当によく看てもらった。辞めることなく、立派な看護師になってくださいね。」その言葉に、それを使命と感じ、看護師を続けながら、病院の医療安全に取り組む方がいることも知りました。患者・家族(遺族)が病院側の真摯な対応で救われれば、その医療者もいささかでも救われるでしょう。
患者・家族(遺族)を救うことは、医療者を救うことと、ひとつの不可分の過程として存在しているのではないか、そうした想いで、このHealsの活動を立ち上げました。

遺族としての立場と、医療者としての立場を体験したことで、対立するのではなく、対話の必要性を感じると共に、共に知り・互いを学ぶ必要があることを感じています。しかし、医療者と遺族の視点には、大きな違いがあることも事実ですし、また、同じ遺族同士でも、同じ医療者同士でも、その視点は様々に異なります。

この活動をスタートするにあたり、これらの違い(認知フレーム)を認めた上で、決して互いに非難したり、否定したり、特定の組織や利害にこだわることなく、聴くこと語ることを通じ、共に手を携えることのできる仲間を募りたいと願いました。

医療事故等に遭遇してしまった時、真実を明らかにする過程と平行して、遺族、医療者双方にとって、少しでも救われるような場にしていくために、大きなシステムの改変などは出来なくとも、どのような言葉や振る舞いが遺族を傷つけるのか、どのような言葉や振る舞いが遺族を救うのか、また遺族のどのような振る舞いが医療者を窮地に陥れてしまうのか、を知り、日常の振舞いに生かしていくことは、我々に試みうる、ささやかでも重要な一歩であると思います。

こうした観点から、継続的に、遺族が傷ついた経験や、癒やされた経験を語り、また医療者も遺族の言葉に傷ついたり、あるいは共感的に見送る事のできた経験などを語り、そこからいささかでも何かを共有し、考えていけるような機会を持ちたいと思っています。さらにその先には、Patients/Therapist/Medic/Lawyerが、チームを編成し、遺族への相談事業・医療者へのピアサポーター養成事業、遺族と医療者とが協働しながら、対話のあり方について学んでいけるようなテキストや、研修プログラムなどを、参加者皆で考え実施して行ければと考えています。

Heals の活動は、こうした想いの元で構成されています。医療者へのピアサポートの普及をひとつの目的としても、それは単に、医療者のみをケアしようとしているのではありません。患者家族を支えケアすることと、医療者を支えケアすることは、不可分のひとつの過程です。苛酷な医療現場の現状のもとで、医療事故等を契機に、同じく傷ついている両者への支援という願いが、そこに込められていることを、そのような姿勢で、このピアサポートに向き合うことを、常に心に留めて進めて行きたいと思います。
(MRIC by 医療ガバナンス学会より転載)

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