10年連続赤字…地方病院を復活させた院長の手腕~ちば医経塾塾長・井上貴裕の病院長対談vol.1

対談相手:前神戸市立医療センター西市民病院院長 有井滋樹氏(神戸市民病院機構 特別顧問(西市民病院整備担当))

目次

千葉大学医学部附属病院副病院長で、医療経営塾「ちば医経塾」の塾長である井上貴裕先生が、様々な病院長と対談します。第1回目の対談のお相手は、浜松ろうさい病院/神戸市立医療センター西市民病院の2病院で病院長を、東京医科歯科大学附属病院で副病院長を務めた有井滋樹先生(神戸市民病院機構 特別顧問(西市民病院整備担当))です。業績不振だった浜松ろうさい病院を黒字転換させた有井滋樹先生。職員の意識改革によって救急の応需率を改善させたそうです。「システム」と「マインド」を両輪として組織改革を実行する話などもお聞きしました。

ちば医経塾塾長・千葉大学医学部附属病院 副病院長 井上貴裕氏
前神戸市立医療センター西市民病院院長 有井滋樹氏(神戸市民病院機構 特別顧問(西市民病院整備担当))

10年連続赤字の病院を救急応需率改善で黒字化

井上:最初に、改めて先生のご経歴をお伺いできますか。

有井:1973年に京都大学医学部を卒業し、関連病院勤務の後、京都大学に助手、講師、助教授として勤めました。2000年に東京医科歯科大学外科の教授に就き、定年の1年前だった2012年に、京都大学病院の関連病院である浜松ろうさい病院へ院長として着任しています。

2018年に浜松ろうさい病院を定年退任した後は、2019年から2023年3月まで神戸市立医療センター西市民病院の病院長を務めました。現在も神戸市民病院機構の特別顧問として、西市民病院の移転新築の旗振り役を担っています。

井上:浜松ろうさい病院は、先生が病院長に就任されて以降、経営改革が進みました。

有井:私の着任時はほぼ10年近く億単位の連続赤字の状態でしたね。着任初年度に幸い黒字を達成しました。その後は赤字の年もありましたが、収支は大幅に改善することができました。

井上:どのように黒字化を果たしたのか、ぜひ教えてください。

有井:救急の応需率を改善させました。それまで応需率があまり高くなかったのですが、皆に救急をしっかり受けていこうという意識を持ってもらうことで、救急車の応需件数を年間1,000台以上増やすことができたのです。これだけでも、入院患者を約300人以上増やすことにつながりました。

また、地域連携を強固にするために院長自ら年間150件程度の診療所訪問を行いました。そのときに心がけたのは、患者紹介をお願いに行くスタイルはとらないことです。
それよりも、紹介元の現場に「紹介システムが適切かどうか」「返書が迅速で丁寧かどうか」「患者さんの満足度はどうか」などの意見を伺い、システムに反映させるとことを目的としました。地域密着型の病院では、顔の見える関係を作るという点でも大切なことだと思います。

救急を断る医師の意識改革のために行ったこと

井上:意識改革は大変だったかと思いますが、どのように進めたのですか。

有井:病院を運営する独立行政法人 労働者健康安全機構からのヒヤリングでもよく聞かれた質問です。救急の応需率が大きく伸びたので、私がどのように改革したのか不思議に感じたのでしょう。ある理事が私に「救急を受けない人のことを叱るのですか?」と聞いたこともありました。しかし、叱ることに意味はありません。一時は効果があったとしても、持続しないからです。

それよりも、私が取り組んだことは、救急を断った医師からじっくり話を聞くことです。着任して約1年間は、毎朝、医師に当直の報告をしてもらいました。その際、特に注意していたことは、断ったことを決して責めないということです。責めるのではなく、なぜ断ったのかについて説明を求めました。

中には、到底正当とはいえない説明もあり、「それは合理的な理由にはなりませんね」と話したこともありました。しかし一方で丁寧に理由を聞いていくと、受け入れる上での課題が見えてくることもあります。具体的な課題が見えたときは、そこを改善することに注力しました。

1年が過ぎた頃、ある外科医が「応需率が上がったので、可能ならもう朝の報告はなくしてほしい」と言ってきました。私としては「当直お疲れさまでした」という気持ちを伝えることも心がけていたのですが、やはりそれなりのプレッシャーを感じていたようですので(笑)、その意見に応じました。

井上:課題に対する解決方法とは、どのようなものですか。

有井:一つは、病院全体でバックアップ体制を構築するということです。当直の医師は、たまたまそのときに最前線に立っているというだけで、実際に救急を受け入れるにはほかの医師や他職種の協力も必要になります。病院全体で救急の医師を支えられるようなバックアップ体制を徹底して築きました。

病院経営だけに限らずあらゆることに通じると思いますが、組織を改革しようとしたら、マインドとシステムのどちらか一方だけを改革しても継続しません。サスティナブルな組織改革を行うためには、マインドとシステムを両輪として改善することが重要なのです。

井上:人員配置を手厚くするなどの対策も行ったのですか。

有井:浜松ろうさい病院のときは、人員配置には手を加えていません。人員配置を手厚くするほどの余裕がなかったためです。オンコール体制などバックアップ体制の意識付けは行いました。そして入院に対しては手当を付け、応需したことに報いるシステムにしました。

一方で、浜松ろうさい病院と同様に救急の応需率を一気に上げた西市民病院では、人員配置を手厚くしました。浜松ろうさい病院のときと比較すると、少し人員に余裕があったので、配置を手厚くすることができたのです。

手厚くしたのは、主に救急外来の看護師と時間内救急の担当医師です。

日中の時間内救急件数が多いため、専攻医を中心に医師の配置を手厚くし、さらに研修医も付けて、総合内科医のバックアップ体制を明快に。これによって時間内救急をしっかり応じる体制を構築したのです。

また、時間外は比較的厚い人員配置にも関わらず、応需率が60%程度と低かったのですが、80%に上昇しました。

行ったのは、「救急医療は診療の根幹であり、市民病院の最大の使命である」と絶えず伝えたこと。そして、医師には当直回数に応じて、応需した救急搬送件数から算出した一定の金額を手当として支給。看護部、検査部、薬剤部、放射線部にも手当支給しました。

病院長自ら積極的に大学を訪問し、研修医を獲得

井上:浜松ろうさい病院は、先生が着任する前まで研修医があまり集まらなかったとも聞いています。

有井:そうですね、やはり病院経営において、研修医に選ばれる病院であるということは、非常に重要だと思います。研修医の存在は他の医師たちのモチベーションを高めることにもなりますし、研修医のフットワークの軽さは病院を運営するにあたって大きなメリットにもつながるからです。

そのため、院長就任後は浜松医科大学まで出向いて学生向けにプレゼンテーションをするなど、研修医獲得のために積極的に行動しました。その結果、コンスタントに3人は研修医を受け入れられるようになったのです。

井上:西市民病院では研修医の獲得はどのような状況でしたか。

有井:西市民病院は1学年7人をマッチングで採用しますが、例年30人くらいの応募があり、そのうち約15人は第1志望での応募です。それなりに狭き門といえると思います。

井上:研修医が集まる理由は、立地が良いことでしょうか。

有井:もちろん、一つには立地の良さがあると思います。それともう一つの売りといえるのは、やはり救急です。研修医に西市民病院を選んだ理由を聞くと、異口同音に「救急医療が魅力」といいます。

西市民病院では、上級医や専攻医、そして総合内科医がフォローしたうえで研修医が中心になって、救急のプライマリケアをかなり自由に行うことができます。また、毎朝20分程度の時間を取って、前の夜の入院患者について研修医がプレゼンテーションして、それに対して上級医がコメントすることを繰り返しています。立ったまま、各診療部門の診療の始まる前のわずか20分程度のディスカッションのため効率が良く、研修医には評判です。

井上:ありがとうございました。次回はマネジメントの立場から見た大学病院と市中病院の違いやリーダーシップを発揮するにあたって心がけていること、また、西市民病院の病床再編などについて伺います。

>>経営コンサルタントの選び方と、最大限活用するための心構え―ちば医経塾長・井上貴裕が指南する「病院長の心得」(21)

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